第八十七話:片輪車

解説:車輪の真ん中に入道の頭の着いた妖怪。または、片輪の車に一人の美女が乗っているという妖怪。鳥山石燕は後者を「片輪車」とし、「諸国百物語」に見える前者と同じ姿の妖怪を「輪入道」とした。「今昔画図続百鬼」によれば、

●昔近江の国甲賀郡で、夜な夜な大路から車が軋る音が聞こえてきた。ある人が戸の隙間からそれを覗き見ると、寝室にいた自分の子供が何処へ行ったのか、いなくなってしまった。どうしようもなく、その人はこんな歌を詠んで嘆いた。

つみとがはわれにこそあれ小車のやるかたわかぬ子をばかくしそ
(小車の行く方向も分からないような幼い我が子を隠さないでください。罪咎めは片輪車を見ようとした私にこそあるのです)

その夜、女の声で、
「あなたは優しい人だ。子供を返そう」
と云って、子供を家に投げ入れてきた。
それからはその人は恐れ、決して片輪車の通るのを見ようとしなかったという。


上の片輪車は子供を返してくれたが、「諸国百物語」の「京東洞院、かたわ車の事」に登場する片輪車(挿絵を見る限り輪入道型)は残酷である。

●京の東洞院通りに、昔片輪車という化物がいたが、夜な夜な南から北の方向へと駆けて行くという。その事もあって、日が暮れると皆恐れて往来するものがいなかった。
ところが、ある人の女房がこれを見たいと思い、ある夜に格子の内側から通りを見ていると、噂に違わず夜半過ぎごろ、南の方から片輪車の軋む音が聞こえてきた。そして牛も人もいないのに、一つの車輪が回りながらやってきたのでそれを見ると、何と引き裂かれた人の股(もも)をぶら下げていた。
女房が驚き、怖がっていると、その車は人のように口をきいて、こんなことを云った。

「そこにいる女房よ、俺を見る暇があったら、家の中へ行って自分の子でも見るんだな」

女房は恐ろしく思い、家の中へ駆け込んで見てみると、三歳になる自分の子が肩から股のところまで引き裂かれて、片方の股は何処へ行ったのか、なくなっていた。女は嘆き悲しんだが、我が子の魂も我が子の片方の股も、返ってはこなかった。
あの車にかかっていた股は、実は女房自身の子供の股であったのだ。女といえど、好奇心のあまりに妖怪を見ようとした所為である。


輪入道については、
「此所勝母の里」
と紙に書いて家の戸に貼っておけば、決して近づいてこないという。


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