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第九十五話:小幡小平次

解説:当サイトの「書斎」のトップに、下を見下ろす骸骨のような人物が描かれているが、あれは私が葛飾北斎の「百物語」を真似て、マウスで描いたものである。そしてあの人物こそ、今回の話題の中心である、小幡小平次である。
最近では京極夏彦氏の直木賞候補作「覘き小平次」(惜しいことに直木賞受賞は叶わなかったが、山本周五郎賞を受賞した)でその名の知られるところとなった小平次だが、ここでは「耳嚢」に載っている、「小はだ小平治事実の事」を訳してみた。


●小幡小平次のことは読み本でも綴られ、浄瑠璃でも演じられ、または徘徊の付け合いとして出されるなど、人の口伝で評判になったが、彼が歌舞伎役者であるということは聞いていても、その正体は定かではない。或る人が小平次の生い立ちを語ったところによると、小幡小平次は山城の小幡村という所に生まれたそうだ。幼い頃両親に死なれ、頼りにする人もいなかったので、村長などが彼の世話をしていたという。
「両親の追善の為に出家しなさい」
という言葉に従い、小平次は小幡村の浄土宗光明寺の弟子になった。出家して名を真洲と申したが、利口で聡明なことは言うまでもなく、和尚も真洲を愛で、暫くの間彼を側に置いておいた。
彼は学問も良く出来たのだが、そんなある時こんなことを言い出した。
「どうか私を諸国遍歴させて下さい。僧としてやっていきたいのです」
和尚は真洲に金五両を与え、望むがままにさせてやったところ、彼は江戸に渡った。
深川の辺りに同じ在所の出身者がいたのでその人を頼ってしばらく暮らしていたが、偶然行ったまじないや祈祷などに大変素晴らしい効果があり、真洲はそこらじゅうに招かれ、後には自分で店も持つことになった。彼を信じるものは多く、所持金も蓄えるほどになった。
 そんな折、深川茶屋の女で花野という遊女がいたが、美僧である真洲が病気の時に加持祈祷してくれたのに深く執心し、ある時彼を口説いた。しかし真洲は拒んで花野の誘いを断った。
「私は僧の身であります故、そんなことは思っても見ませんでした」
しかし、ある時花野が真洲の庵へ訪ねて来て、
「私の願いが叶わぬのならば、もはや死ぬ以外には道はありません。あなたは私を殺しなさるおつもりですか」
とひどく嘆いた上に、一つの香合(お香を入れるための容器)を出し、
「私の志を御覧なさい」
と言って真洲に渡した。真洲がその香合を開いてみると、そこには何と切断された指が入っていた。真洲はひどく驚き、
「出家の身である私に何を仰っても、私には堕落の心はありません。しかしそうも仰るのであれば、明日の夜いらしてください。熟考してお返事申し上げましょう」
そういって二人は別れたが、
「こうなってはたまらない」
と言って、その夜真洲は荷物をまとめ、旅の支度をし、深川を発って神奈川へ行った。そこの或る家に寄って一夜の宿を借りたが、そこの亭主は真洲と顔見知りだったようで、
「あなたはどうしてここにいらしたのですか」
と尋ねて来た。真洲はこれこれこういう理由で来た、と事のあらましを語ったところ、主人は、
「ここに御逗留なされ」
と言って、真洲を留めて置いて世話をしてくれた。先の香合は汚らわしいと思って途中で捨てたにも関わらず、不思議にも漁師の網にかかり、神奈川宿でいろいろあって真洲の手元に戻ってきた。亭主はそれを聞いて、
「それほどまでに執心の残っている香合なのであれば、焼いて手厚く弔いなさいませ」
と助言したので、真洲はそれに従い、経を読んで塚に埋めた。
「これで心配なかろう」
真洲がそう思っていたところ、或る日大山へ参詣すると言う人がこの家に泊まり、真洲を見て、
「あなたはどうしてここにいらっしゃるのですか。あの花野は心を病み、親方の元を出て、今は何処へ行ったか行方知れずになってしまったのですよ。早く江戸にお帰りになってください」
と、口々に勧めたので、真洲はその人と共に江戸へ帰った。江戸に着くと、堺町の半六というものが真洲の世話をしてくれたが、
「失業者で生業がないままではなんですから」
といって、真洲に茶屋の手伝いや楽屋での仕事をさせていた。そして、
「この先僧をやっていても何になりましょう」
と言って真洲を還俗させたのだが、役者達が、
「あなたも役者におなりなさい」
と言ったので、終に小平次は初代海老蔵・市川柏筵(はくえん)の弟子として役者になった。
「小幡を名乗るのもどうか」
と言って、小和田小平治と名乗ったのだが、男振りがよく、芸もなかなかのもので、小平治は中の上くらいの地位の役者になった。
ところが茶屋で博打を打ったかどで柏筵に破門され、小平治は仕方なく半六とともに田舎芝居まで落ち延びた。
そんな或る日、雨天続きで生業を休業している時に、小平治は半六と、見世物を生業としている穴熊三平という男と共に猟に出で、計らずも海へ落ちて死んでしまった。実は小平治が江戸へ戻った後、花野が堺町に小平治のいることを知って尋ねて来、ついに小平治の妻になったのだが、三平が深川に居る時からこの男に執心し、小平治が邪魔になったので、半六と申し合わせて小平治を海に突き落とし、殺したのである。
三平と半六は江戸へ帰り、小平治のいないはずの家に戻ってきた。すると花野が出てきてこんなことを言った。
「どうして遅く帰ったのよ。小平治は昨日の夜に帰ったってのに」
二人は大層不審に思い、花野に言った。
「小平治は海へ落ちて死んだのだ。言いようもないことだったので、ずっと言い出せずにいたのだが」
しかし花野はそれを信じなかった。二人が驚いて部屋を覗くと、荷物ばかりで小平治の姿はどこにもなかった。
それからも小平治に関して、怪しげなことが度々起こったそうだ。その辺のところは聞いていないのでここには記さない。三平と半六は、その後小平治殺しが露見して裁きを受け、処罰されたということだ。
享保の始めから中ごろまでの間に起こったことである。



小平次についてはその他にもいろいろ伝えられていて、芝居仲間の間では小平次のことを語るのは一つのタブーとなっていたそうだ。


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