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第七十四話:釣瓶おとし

解説:釣瓶おろし、釣瓶火とも。通行人が通ると木の上から降りてきて、食べてしまうという妖怪。または大きな釣瓶を落として通行人を掬い、食べてしまうとも言われている。
姿は人の首だったり、鬼のようなものであったり、または火の玉だったりするが、石燕は火の玉タイプの釣瓶おとしを「釣瓶火」として描いている。また、大きなやかんが落ちてくるという「やかんづる」の怪も、この釣瓶おとしの仲間であろうか。
「夜業すんだか釣瓶おろそか、ぎいぎい」
などといって降りてくるという話もある。
ここでは、「古今百物語評判」に載っている「西岡の釣瓶おろし」という話を是非とも取り上げたい。

●或る人の言うには、
「今まで語られた話は、どれもこれも人からお聞きになったことばかりで、自分で見たと仰ったものがありません。これは私が去年の五月頃、西の岡へ参った折のことです。私がそこに居るとき、丁度雨が降り出したので、西の岡で宿をとろうと思ったのですが、それが不可能な用事があり、戻ったのです。その帰途は日ももう暮れていたため、人通りはありませんでした。寂しく思っている時、高西寺の近くの、竹薮の際を通ると、側らの大木から何かは分かりませんが、鞠のような火の塊が上ったり降りたりしているのが見えたので、
『あれはなんだ』
と思ってみていたところ、別に他の場所へ飛んで行かなかったので、すぐに走って逃げ帰って来ました。観音様のお守りを首にかけていたおかげでしょうか、無事に帰ることが出来ました。とても恐ろしい体験でした」
すると先生(作者の山岡元隣のこと)はにこにこしながらこうお答えになった。
「それは俗に言うところの、つるべおろしという発光体だ。一見人智の及ばぬ存在に見えるが、天と地の間には何一つとして陰陽五行説に漏れるものはない。この発光体は大木の精であり、つまり木は火を生むという道理にあてはまるものだ。そして昼は現れず、脇の方にもその姿を確認することが出来ぬのは、火は闇を得て色を増し、明るさによって光を失うためである。これは普通のことだ。とりわけ、木の下の暗い所にあらわれ見えるようになるのだ。
ところで、若い木にこのつるべおろしが生まれないのは何故か。それは、陰陽の均衡が時を経て変化するためである。五行(木、火、土、金、水)の相生とは、春が終わって夏が訪れ、秋が満ちて冬になるという季節の移り変わりのように移ろい易いものなのだ。その始めの気が底を尽きない限り次の気は生まれない。そうとなれば寸木尺樹も、木は火を生ずるという道理が内に潜んでいながらも、まだ木の気が満たなければ、火の気を生じさせるのには及ばないのである。
また、天と地の間には三種類の火が存在する。星の精の飛ぶ火、竜の火、雷の火を天火という。木を切り、石を擦って生じる火を地火という。そして人間の心や、精神を司る腎臓に存在する火を人火という。これらの火は陰火と陽火に区別することが出来る。
陽火は物を焼くことが出来るが、陰火はそれが出来ない。そもそも雷の火が人家を焼くことがあるが、この火は陰火であるので、水で消そうとしたり、濡れたもので覆おうとすると却って燃え盛るのだ。火を投げ、灰を散らし、火を防げばそのまま消えていく。これは理に適ったことである。このつるべおろしとか言うものも陰火の仲間である。その為、雨の降っている日には特に見えるようになるのである」
またこんなことも尋ねた。
「つるべおろしは陰火なので、物を焼かないということはありえるでしょう。それならば深山幽谷などで、木の枝が互いに揉み合い火を生じ、その木を焼くというのはどういったことなのでしょうか」
先生は仰った。
「動くというのは陽の作用、静まるというのは陰の作用なので、その木が揉み合う事によって陽の行いをなし、火は陽火となるのだ」


最後のほうは「つるべおろし」とあまり関係がない。少し難しい話だが、つまり、「つるべおろし」は古い木から「木生火の理」(木は火を生むという道理)によって生じた陰火であると言っているのである。


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