第九十七話:うつろ舟

解説:澁澤龍彦の小説「うつろ舟」でも取り上げられている、謎の舟。時折「江戸のUFO事件」などと言って取り上げられることもある。
うつろ舟に関する記録は、滝沢馬琴ら兎園会同人によって書かれた「兎園小説」や「梅の塵」に載っているが、ここでは「兎園小説」の話を紹介したい。


●享和三年、癸亥(みずのとい)の春、二月二十二日の昼、当時寄合席であった小笠原越中守(高4千石)の治めていた常陸の国のはらやどりという浜で、沖のほうに舟のようなものが見えたので、漁師達が小船を沢山漕ぎ出してそれを浜に引き付けた。よくよく見ると、その舟の形は、喩えて言うならば香合のように丸く、長さは三間程度、上はチャン(松脂)で塗り詰められており、底は鉄の板がねを段々と筋金のように張り付けてあった。これは海巌に当たっても打ち砕かれないようにする為であろう。
上が透き通っていて、舟の中が見えたので、皆が立ち合って覗いてみると、異様な姿をした一人の婦人が中に入っていた。
女は眉毛と髪の毛が赤く、顔は桃色であった。頭髪は入れ毛であったが、それは白くて長く、背に垂れていた。(※原文注釈:これを考えてみると、「ニ魯西亜一見録」の人物の条にこんなことが書いてある。すなわち「女の衣服は筒袖であり、腰より下を細く仕立ててある云々、また髪の毛は白い粉を塗りかけて結んでいる云々」これを考慮すると、この蛮女の頭髻の白いのも、おそらくは白い粉を塗ってあるためであろう。もしかしたら、ロシア属国の婦人なのではないだろうか。まだまだ考えて見なければならない)
これは獣の毛か、はたまたより糸か。これを知る者はいなかった。言葉も通じないので、何処の者かと尋ねることも出来ない。
また、この女はニ尺四方の箱を持っていた。女にとって、それは特に大切なものらしく、しばらく離さず、また人も近づけなかった。舟の中のものをいろいろと調べてみると、小瓶に入れた水二升、敷物が二枚、菓子のようなもの、肉を焼いたような練ったような食べ物があった。

漁師達は集まって評議したが、女はその様を静かに見ながら微笑むばかりである。そんな時、一人の古老がこんなことを言った。
「この女はおそらく蛮国の王の娘じゃ。他へ嫁いだものの浮気をしてしまい、それがばれて密夫は処刑されたが、女は流石に王の娘なので殺すことは出来ず、うつろ舟に乗せて流し、運命を天に委ねたのじゃろうか。そう考えると、女の持っている箱の中身は密夫の首ではなかろうか。昔もこんな蛮女がうつろ舟に乗せられ、近くの浜へ漂着したことがあった。その舟の中には、まな板のようなものに乗せた人の首がなまなましくも存在した、ということが口碑に伝えられた。これを考え合わせて見れば、例の箱の中のものも、そんな類のものであるはずだ。蛮女が肌身離さず持って居るのも、箱の中身が男の首であるため、それを惜しんでのことであろう」
蛮女のことをお上に報告申し上げたところ、雑費もばかにならない上、こんなものが流れ着いた時に、再び突き流した先例があるなどと言って、又もとのように舟に乗せて沖へ引き出し、蛮女をうつろ舟もろとも押し流してしまったという。もしこの時、人々に仁を尊重する気持ちがあれば、この女を助けられたのだろうが、それは蛮女の運が悪かったということだ。
又その舟の中に、奇妙な蛮字がいくつもあったという。後々思うに、近頃浦賀の沖に停泊しているイギリス船にもこれらの蛮字があった。それならば、件の蛮女はイギリス人だったのか。もしくはベンガラやアメリカなどの蛮王の娘だったのだろうか。これは知る由もない。


これをUFOだと言うのは、私としては聊か飛躍しすぎなのではないかと思うが、それでもミステリアスな内容であるのには変わりがない。それこそが、この「うつろ舟」が澁澤龍彦など、幻想世界の表現者によって愛されてきた所以であろう。澁澤は著書「東西不思議物語」の中でこんなことを言っている。
「柳田の断言するように、この話は完全な作り話かもしれないが、それでも私には、何か心に訴えかけてくるものがあるような気がしてならない。おそらく、円盤の形をしたウツボ舟というイメージに、超時代的な面白さがあるためかもしれない」

ちなみに、上の澁澤の言葉の中に柳田(國男)の名前が出てきたが、柳田はこの話に対して懐疑的な立場を取っていた。この話が嘘だという説に関しては、「新・トンデモ超常現象56の真相」(太田出版)にかなり詳しく載っているので、興味のある方は読んでみて欲しい。


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