拾遺之三十呉:大女


●『新御伽婢子』に見える話である。


●武州浅草の辺りに、甲良の某という人がいた。
先年、江戸城下を襲った明暦の大火によって家を焼け出されたことがあった。家が一時の煙となったので、甲良某はその跡地に仮の家をしつらい、暫くの間そこで暮らしていた。

甲良某には、太田三郎右衛門という家来がいた。この男は幼少の頃より文学を好み、夜でも蛍雪の灯りで読書をし、漢詩に眠り、書に倦むばかりで、気を安らかにして眠ることが出来なかった。
或る雪の夜も、杜甫の七言律詩の中に少し味わい深いものがあり、巻台に足を膝まで入れながらそれを読んでいた。夜はもうとっくに更けている。
すると冬の月が障子を照らし、何者かの影が映っている。太田三郎右衛門はそれを見てやろうと思い、障子戸より外を覗った。
「何と!」
そこには顔色青白く、歯黒をべったりと黒く付けた女がいた。異様なのが、その女の大きなことだった。それは例えて言うならば、顔は車輪、背丈は高く聳え立った深山木に等しい。女は太田に向かって莞爾(にこ)と笑いながら立っている。普通の者ならばそこで気絶してしまうところだが、ここにいる太田は元来文武兼備の侍であるので、どうして少しでも躊躇することがあろう、女を抜き討ちに斬りつけた。手ごたえがあり、そのまま女は消えた。
太刀を振った風で灯火が消えて暗い。太田は下男を呼んで火を貰おうとしたが、寝入っているようで現われない。騒がしくして起したところ、漸く火を掲げてやって来た。太田は事のあらましを話した。そのあとで主従ともに女の出た跡を見ると、そこには血痕が残されていた。それを辿って行くと、血は途中で絶えており、そこには血溜があった。そしてその中には、元結ながらも美しく結い上げた女の黒髪が、一房ほど切られて落ちていたのである。どんなものが化けて出たのかは分からないが、ここにこんな話がある。
かつてこの屋敷には、三崎某とかいう武士の囲っていた遊女が住んでいた。ところが女は世にも人にも捨てられ、恨みを抱きながら一人寂しく死んでいった。いつしか家はあばら家と化した。雨の夜や嵐の夕べに怪しい女が現われるようになったのはそれからである、と古い人は語る。太田の前に現われた怪も、この類のものなのだろう。

黒髪は年月を経ても色が変わったり薄れたりすることがなく、正しく人間のものであったという。

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