第四十一話:黒塚
解説:安達が原(福島県)の鬼婆の話。
●京都の或る公卿に仕えていた女・岩手は、自分が乳母として育ててきた姫が喋らないことに悩んでいた。ある時、妊婦の生き胆を飲ませるのがよいという事を聞き、岩手は妊婦を求めて全国を旅する。しかしなかなか妊婦の肝は手に入らず、岩手は安達が原の岩屋に住みながら、妊婦が訪ねてくるのを蜘蛛のように待ち構えていた。
そして数年後、或る夫婦が一夜の宿を借りに岩屋へやってきた。しかも女の方―名を恋衣という―の腹は大きく膨らんでいた。
「妊婦だ、これで姫の唖が治るぞ」
岩手は歓喜した。そしてその日、とうとう残忍な計画は実行された。
岩手は夫の方を上手く出かけさせると、その留守に恋衣を縛り、腹を割いて念願の生き胆を取り出した。その時、腹を割かれた恋衣は息も絶え絶えにこう言った。
「私は生き別れた母を捜して旅をしていたのです」
やがて恋衣が息絶えると、岩手は彼女の持ち物を調べた。すると、岩手にとって見覚えのあるものが出てきた。
「これは、私が昔娘にあげたお守りではないか。するとこの女は・・・まさか」
岩手は気付いた。しかしもう遅かった。実は恋衣は岩手の実の娘で、彼女が探していたのはまさしく岩手、つまり自分だったのだ。
「何てことだ、私は自分の娘をこの手で殺めてしまった」
岩手の心は悲しみの炎で焼かれ、その責め苦のために岩手は発狂、ついに鬼女となってしまった。その日から岩手は安達が原の鬼婆と呼ばれるようになり、旅人を襲ってはその血肉を食らった。
それから再び月日は流れた。
或る日のこと、一人の僧が岩屋を訪れた。
「私は熊野の祐慶という旅の僧です。一夜の宿をお借りしたいのですが」
鬼婆は僧の来訪を歓迎し微笑んだが、その微笑みの仮面の下には残忍な鬼女の顔があった。岩手は祐慶をもてなすために薪を拾いに行こうとし、出かけ前にこんなことを行った。
「私が戻るまで決して奥の部屋をのぞいてはなりませんぞ」
しかし気になった祐慶は、その部屋を覗いてしまった。
「人骨だ!」
その部屋にはいたるところに人骨が散乱しており、床を白で埋め尽くしていた。
「するとあの媼が噂に名高い安達が原の鬼女か。私も逃げねば殺されてしまう」
祐慶は岩屋から逃げ出したが、岩手はそれに気付いて彼を追いかけた。逃げ惑う間に、祐慶は背負っていた観音菩薩の像を箱から取り出し、一心不乱に祈った。すると不思議なことが起こった。
何と菩薩の像が天に昇り、光を放ちながら、白真の弓を使って金剛の矢を岩手に向けて放ったのである。
「ぎゃああっ」
こうして哀れな老婆・岩手は永遠の眠りに就いた。その後祐慶は老婆を手厚く葬り、その場所を黒塚と言った。
これは余談だが、私の好きな芳年の絵に、鬼女岩手が妊婦を逆さ吊にして包丁を研いでいるという作品がある。このシチュエーションは緊縛絵師の伊藤晴雨も大いに好んだものだが、発表当時、残酷という理由から発売禁止を食らったという曰くつきの一葉である。