第四十四話:ぬっぺっぽう
解説:白粉で厚化粧した様を「ぬっぺり」と言い、それに「坊」をつけて「ぬっぺらぼう」「のっぺらぼう」というが、このぬっぺっぽうは眼も鼻も口もない、肉の塊のような妖怪である。
一説にはこの妖怪、廃寺に出る腐肉の塊と言われているが、この妖怪の背景に廃寺を配した鳥山石燕の影響によるものか。
また、このぬっぺっぽうに非常に良く似た妖怪が出現した記録が、「一宵話」にあるのでここに紹介したい。
●神祖徳川家康公が駿府城にいらした頃の事。
或る朝、庭に子供のような形をし、手はありながら指はなく、指のない手で上空を指して立っている、さながら肉人とも言うべきものがいた。これを目撃した人は驚き、変化のものであろうと言って、どうにも出来ないでいるうちに庭が騒々しくなった。臣下の者がその後家康公に知らせ、
「あの怪物めをいかが致しましょう」
とお伺いを立てたところ、家康は、
「人目につかないところへ追い払え」
と命じた。やがて城から遠い小山の方へ追いやられたという。
或る人がこれを聞いて、
「いやぁ、全く惜しいことである。周囲の人々の不学のせいで、これほどの仙薬を君主に献上することが出来なかったのだから。これは白沢図(中国の黄帝が、神獣・白沢から聞いた妖怪を図としてまとめさせたもの。あらゆる妖怪の対処法が明記されているが、原書は見つかっていないという)に出ている封(ほう)というものである※。これを食べると多力武勇に優れるということが書いてあるが、まあ君主には献上しなくとも、公達または群臣までにも食べさせられたものを、かえすがえすもその時物知りの人がいなかたために、惜しいことをしたものである」
と惜しがっていた。
しかしこれは、例えば生来虚弱の人が養生食を食べたり、常日頃から持薬にと八味地黄剤などを絶えず服用することと同じことである。もし強健の人であるならば、八十過ぎまで薬を服用することも、又背中にお灸の痕が一つもないように、家康の時代の人々は、自然と多力武勇が有り余るほどあったので薬を服用することなど好むことはなかったのである。
君主も臣下も、封のことは良くご存知だったのだろうが、それを食べてまで多力武勇になろうとは武士の本意ではない、大層卑怯なことであると言って、それを追いやってしまったのであろう。非常に裕福な人が福を目指したり、いかがわしい神を崇め奉るのも、大方これに似ている。
※【原文注釈】:この怪物は切支丹である。追いやれ、と仰ったというから、封とは形が異なる。封はツトヘビ(ツチノコの別名)、ソウタの類である。封は※の形をしている。