第五十話:玉藻前
●「瑯邪代醉に古今事物考を引て云。商(いん)の妲己は狐の精なりと云々。その精本朝にわたりて玉藻前となり、帝王のおそばをけがせしとなん。すべて淫声美色の人を惑す事、狐狸よりもはなはだし」(今昔画図続百鬼『玉藻前』)
「殺生石は下野国那須野にあり。老狐の化する所にして、鳥獣これに觸れば皆死す。應永二年乙亥(きのとのい)正月十一日、源翁和尚これを打破すといふ」(今昔百鬼拾遺『殺生石』)
●時は平安、鳥羽天皇の治世の時代。その頃、天皇の目の前に一人の美女が現れた。彼女は暗闇でその体から光を発したので、玉藻前(たまものまえ)と呼ばれるようになった。
ところがこの玉藻前、実はかつて天竺と中国で悪事を働いた、金毛九尾の狐のかりそめの姿だったのである。
九尾の狐は、天竺では華陽夫人として斑足太子をたぶらかし、殷では妲己として紂王を混乱せしめ、やがて殷が滅び周王朝が誕生すると、今度は西周の幽王を褒?(「ほうじ」と読む。「?」は、女偏に以の字)として惑わし、国を傾けた。その後、遣唐使・吉備真備の船に乗り込み、上手く日本に潜入したのであった。
玉藻前は天竺・中国の王同様、鳥羽を惑わしたが、当時の有名な陰陽師・安倍泰成に正体を暴かれ、九尾の狐の姿に戻って虚空に消えていった。しかし、足を下ろした先の那須野にて、三浦介義明、上総介広常によって倒された。
その後、九尾の狐は殺生石と呼ばれる大岩になって付近の生物を次々と殺した。
この事態を重く見た天皇により、玄翁と呼ばれる僧が派遣され、この殺生石を見事打ち割ったという。工具に「玄翁」という大きな金槌があるが、殺生石を砕いたこの僧の名に拠ると言う。