第七十話:川赤子

解説:「山川のもくずのうちに、赤子のかたちしたるものあり。これを川赤子といふなるよし。川太郎、川童の類ならんか」(今昔画図続百鬼)

川に住む赤ん坊のような姿の妖怪。石燕は河童の仲間であるとしている。
石燕の画では、川の中から泣いている赤ん坊の姿で描かれているが、葦や薄で隠れて見えない川の向こうで、鴨などの水鳥が鳴いたのをこの妖怪としたのだろうか。または、川に本当の赤ん坊が捨てられて泣いているのを、可哀想だと思うよりはむしろ恐ろしいものだと思い、この妖怪としたのだろうか。
昔、貧しい村などでは、生まれた子供を「間引き」と言って、川に捨てたり殺したりしていたという。昔の人も人間である。いくら食い扶持を減らすために心を鬼にしたとは云え、川にこだまする自分の子供の泣き声を聞いて、心の奥底にある「うしろめたさ」が揺るがなかったはずはない。そんな人々の罪悪感がこうした妖怪を生んだのだとは、あながち考えられないことではない。

多田克己氏は「百鬼解読」(講談社)の中でこれを絵解きし、石燕の画に浮き草(蛭藻草)のあることから、「蛭子」との関連を指摘している。
「蛭子」は現在、恵比寿様として祀られるようになった神だが、元はイザナギとイザナミとの間に生まれた子供であった。イザナギとイザナミが間違った作法で結婚してしまったために、三歳になっても歩くことが出来ない蛭子が生まれ、後に海に流されてしまったという。
蛭子とは生まれたての赤ん坊や、死んだ胎児のことも指すので、ここから川赤子とは、死んで川に流された胎児のことを指すということである。


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