第九十三話:のっぺらぼう

解説:のっぺらぼうの怪で最も有名な「再度の怪」については<妖之巻>「狢」の頁で紹介した通りだが、ここでは「奇異雑談集」に見られる少し変わったのっぺらぼうの話を訳してみたいと思う。

●私が若かった頃は丹後の府中に住んでいた。津の国の唱導師(名藤坊)が九世戸参詣のついでに私の家に訪れ、数日間逗留して行ったが、その時こんなことを語っていた。
「津の国に一人の唱導師がいた。日本全国六十六箇所で修業していたが、その国毎に十日から二十日逗留して、その国中の名所、旧跡、大社、験仏を残すことなく見て帰る人だった。その人がこんなことを語っていた。」

ある国であちらこちらを歩き回っていると、遠くのほうに大きな家があった。行ってみると、それは農家であった。大変繁盛しているようで、牛馬を多く飼い、奴婢や僕従が大勢群がっていた。その人が門から庭へ入ってみると、家主の夫人が遠くから彼の方を見て、侍女を使って奥へ通そうとした。彼は遠慮して奥へ行かず、最初かまどの辺りに立ちすくんでいた。すると再び侍女が来て、上に来させようとした。唱導が行ってみると、普段客僧をもてなすのに使っている座敷があった。彼はそこへ座った。若い使用人が数人居て、いろいろと世話をしてくれた。そして侍女は食事を持ってきてくれた。彼はそれを食べた。
食事の後で夫人が来て、
『どちらからお越しのお坊様ですか』
と聞くので、彼は、
『私は上方の者ですが』
と答えた。すると夫人は続けた。
『上方のお坊様と言えば、御懐かしく思います。御覧の通り、我が家は富栄えていますが、亭主は世にも不思議な片輪者で御座います。あの人の果報によってこれほどまでに家が栄えているのです。菩提結縁の為、お坊様にも我が亭主を御覧頂きたく思います』
『ええ、お会いしましょう』
唱導がそう言うと、
『それならばこちらへ』
と言って、夫人は先へ歩いていった。その後を唱導師はついていった。その家のつくりは広く、美しく、その綺麗さ、荘厳で清らかな様は、彼の目を驚かせるものだった。また、別に小殿が一軒あって、そこへ廊下を渡って行った。なおもその作りは華やかさを磨いたものである。夫人は振り返って言った。
『亭主の姿を見て、驚き逃げてしまう人もいます。つらくはありません。その辺をご承知になった上で御覧下さい』
そして夫人が腰障子を開くと、二間四方の座敷の中に主人は座っていた。
主人の頭部は普通の人の大きさで、瓢箪の形をしていたが、その顔に目、鼻、口はなく、耳は左右に少しだけ出ていて、穴が僅かに見えるばかりである。そして頭の上に口があり、蟹の口のようにわさわさと動いた。夫人が食器にご飯を入れて、箸と一緒に棚に置いてあるのを手にとって、
『亭主がものを食べるところをお見せしましょう』
と言うと、箸でご飯を取り、それを亭主の頭の上へと運んだ。すると頭の口がわさわさと動き、ご飯が中へ入っていった。その様は二目とも見られるようなものではなかった。しかし、顎から下は普通の人間である。皮膚は桜色をしていて、太っても痩せてもおらず、手、足、指、爪、皆綺麗で鮮やかである。衣装は華美を極めたものだった。上衣には夏用の素襖にを着て、白袴に縮織で皺を寄せていた。しかしそれらは皆、夜の錦のように美しく着飾った甲斐も無く、唱導師はこれ以上見ていられなくて、早々と去った。
客僧は帰って元の座敷に着いた。後から夫人も来た。
『あれほどまでに奇妙なものをお見せしてしまい、お恥ずかしい限りです。あの人と夫婦の仲になりました事、我が身の悪業は嘆かわしく思います。これは結縁の為に』
夫人はそう言って、客僧に路銀を出してくれた。客僧はそれをもらうと、その屋敷を後にした。


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