四谷怪談


第二話:四谷怪談

解説:江戸は元禄、四谷左門町に田宮又左衛門という者がいた。その娘を於岩といったが、21歳の時、於岩は疱瘡を患い、それによって片目は潰れ醜い顔になってしまった。
ほどなくして岩の結婚を心配していた又左衛門は死に、周囲の者は岩を誰と結婚させようかで大いに悩んだ。皆於岩の面相を怖れて名乗り出るものがいなかったのである。

しかし状況は一変した。

小股潜りの又一という男が一人の浪人を連れてきたのである。
男は伊右衛門と言った。
伊右衛門は岩の容姿については前もって聞かされていたが、一刻も早く田宮家の跡目を継ぎたいと考えていたこの浪人は、そのことに関しては左程気にはしていなかった。

かくして岩と伊右衛門は祝言を挙げることとなった。
伊右衛門は座ってうつむいている於岩がどんな女であるのか気になり、恐る恐る覗いてみた。すると噂に違わぬおぞましい顔の女だった。しかしここで取り乱せば結婚は台無し。伊右衛門は黙って式をすませた。

その頃伊東喜兵衛という老人がいたが、伊右衛門はこの男と組んで岩を田宮家から追放し、喜兵衛の妾であった花と婚礼を挙げようと計画していた。
計略とはこうであった。
まず、伊右衛門がわざと遊蕩三昧の生活に耽るようになった。外へ行けば博打をし、岩の待つ家には帰らず、家には金を納めなくなった。当然於岩は困り果てるが、そこへ夜も更けた頃、喜兵衛が田宮家に使いを出し、岩を自分の家へ招いた。岩は喜兵衛に、夫の遊蕩ぶりを打ち明け、喜兵衛も岩にあれこれと助言をした。
翌日、伊右衛門が家に戻り、岩が夫の居ぬ間に家を留守にしていたことに対して厳しく非難した。勿論、岩にとってそれは道理に合わないことだったので、すぐさま伊東の家へ行って夫の非道さを訴えた。
ところが、伊東の態度は昨夜と打って変わり、家を空けて自分の元へ来た於岩の方を叱り付けた。そして、かくなる上は伊右衛門と別れ、自分から田宮の家を出るのが良いと助言した。岩はそれを承知した。
企みは上手くいき、伊右衛門は於岩を騙して田宮家から追い出し、花と結婚することに成功した。追い出された岩は、騙されたことも知らずに三番町の後家人の家へ縫物奉公として住み込んだ。

そんな折、煙草屋の茂助というものが岩を訪ねてきた。
そこで岩は茂助によって、喜兵衛と伊右衛門の企みを知ることになる。怒った岩は髪を振り乱し、周りのものを手当たり次第投げ出して、恐ろしい形相で後家人の家を飛び出し行方知れずになった。

その後、伊右衛門は花との間に子供をもうけ幸せに暮らしていたが、田宮家では次々と怪異が起こるようになった。それによって子供は相次いで死に、とうとう妻のお花も衰弱死してしまう。
そんな中、伊右衛門自身もふとしたことで怪我をし、腰骨を打って動けなくなった上に耳を怪我してそこから膿が出るようになった。そしてそれを嗅ぎつけた数十匹の鼠に襲われ、長櫃の中で惨い最期を遂げた。
その後伊右衛門の跡取りも相次ぐ不幸でとうとう絶えてしまい、田宮家は完全に廃れてしまったという。


4世鶴屋南北がこの話を基に書いたのが「東海道四谷怪談」である。核となっているのは上の話だが、「東海道四谷怪談」(岩波文庫)巻末にある河竹繁俊氏の解説によれば、他にも@小幡小平次の伝説など、いくつかの巷談・説話を参考にしているという。
また、同解説によれば、「東海道四谷怪談」は「忠臣蔵」と密接な関係にあったという。上演一日目に「忠臣蔵」を一段から六段目まで出した後、「四谷怪談」を三段目まで出した。翌二日目に「忠臣蔵」七段目から十段目を上演、そして「四谷怪談」を終わりまで出して、最後に「忠臣蔵」討ち入りの十一段目を出したという。ストーリーも全く関係ないのではなく、「四谷怪談」中に出てくる塩谷家は、「忠臣蔵」の浅野家がモデルとなっている。
なかなか面白い趣向ではある。


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