第七十八話:火間虫入道
解説:「人生勤にあり。つとむる時は匱(とぼし)からずといへり。生て時に益なく、うかりうかりと間をぬすみて一生をおくるものは、死してもその霊ひまむし夜入道となりて、灯の油をねぶり、人の夜作(よなべ)をさまたぐるとなん。また訛(あやま)りてへマムシとよぶは、へとひと五音相通也」(今昔百鬼拾遺)
中勘助の「銀の匙」という作品の中に、転校してしまった女友達の机を見た主人公が、机に鉛筆で山水天狗やヘマムショ入道がいっぱい描かれているのを見つける場面があるが、「ヘマムショ入道」または「ヒマムシ入道」とは、「へのへのもへじ」のような文字遊びのことである。これはさながら、現在の顔文字やアスキー・アートに通じるものがある。
鳥山石燕は「今昔百鬼拾遺」の中で「火間虫入道」なる妖怪を描き、怠け者を戒めている。
ちなみに、この火間虫入道の横に、釜と鳥の絵馬が置いてあるが、これは石燕が「画図百器徒然袋」で描いている「鳴釜」と何か関係があるのだろうか。
※付記:この後、多田克己氏の「百鬼解読」(講談社)を読んでいたら、火間虫入道の頁に釜のことについての詳しい説明があった。同書によると、石燕の言う「火間虫入道」とは、火間(釜)に住む虫、つまりゴキブリを表しており、釜に鶏の絵馬を奉納することは、ゴキブリ除けの呪などの様々な効果があるとされていたそうだ。
同書ではさらに詳しく言及されているので、これ以上のことを知りたい方はそちらを見て頂きたい。