拾遺之四:不思議な事件

●柳田國男の名作、「遠野物語」に見える話である。

●弥之助という男が茸を採ると言って奥山に入り、小屋をかけて寝泊りしていると、深夜、遠くの方から、
「きゃー」
という女の叫び声が聞こえ、胸が轟くばかりに驚いたことがあった。里へ降りてみると、その同じ夜同じ時刻に、彼の妹である女がその息子の手によって殺されていた。

この女の家は母一人、子一人(息子)、そして息子の嫁が暮らしていた。しかし嫁姑の仲が悪くなり、嫁はしばしば、里親のところへ戻って帰らないことがあった。
その日、嫁は家にいて寝ていたが、昼頃になって突然息子がこんなことを言い出した。
「ガガ(母のこと)はとても生かしては置かれぬ、今日はきっと殺すべし」
息子は大きな草刈鎌を取り出し、ごしごしとそれを研ぎ始めた。その様子が冗談には見えなかったので、母は様々に筋道を立てて詫びたものの、息子は少しも聞き入れようとはしない。そのうち嫁も起きて泣きながら諫めたのだが、それに従うようなそぶりは少しも見せなかった。
やがて母が家から逃げようとするのを見て、息子は前後の戸口を全て閉ざしてしまった。便所へ行きたいと母が乞うと、息子は外から 便器を持ってきて、これにしろと言う。
夕方になり、母もついに諦めて、大きな囲炉裏の側にうずくまって只泣くばかりだった。息子はよくよく研いだ大鎌を手にして母に近寄り、まず左の肩口めがけて横様に払うと、刃先が炉の上の火棚に引っかかってよく切れなかった。その時、母は深山の奥で弥之助が聞いた様な叫び声を立てた。
二度目に、息子は母右肩から切り下げたが、この一撃を以ってしても母は死ななかった。そこへ里の者が驚き駆けつけて息子を取り押さえ、警察を呼んで引き渡した(警察がまだ棒を持ち歩いている時代のことである)。
母親は、息子が捕らえられ、引き立てられていくのを見て、滝のように流れる血の中から、
「私は恨みも抱かずに死ぬから、孫四郎(息子)は許してください」
という。これを聞いて心を動かさないものはなかった。
孫四郎は引き立てられる途中でも、鎌を振り上げて巡査を追い回したりなどしたが、狂人だからといって放免されて家に戻った。今も生きて里にいる。


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