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拾遺之三十一:人化馬


●泉鏡花の作品に『高野聖』というものがある。
これは人間を動物に変えてしまう恐ろしい魔女の話であるが、語りの文章に最後に明らかになる恐ろしい結末は、一種忘れがたいものである。
『芭蕉の人々』『明治の話題』などの著者として知られている柴田宵曲は、その著書『続 妖異博物館』の中で、この小説の源流をあれこれと考察している。それによると、『奇異雑談集』などにはこうした、人を馬に変えて売ってしまうという類の話が既に見えるようだ。

●遥か昔のことである。
丹波の国、奥の郡に、山際に建てられた一見の大きな家があった。隣家もなく、数十人ほどの人が、何の苦もなく豊かに暮らしているようだったが、その人達は農作をせず、職を持たず、また商売もしていなかったので、外の者は皆不審がった。また、馬を買いに行くわけでもないのに、どこから仕入れてきたのか、一ヶ月に二三匹もの良馬を売るので、そのことも人々からは不審がられていた。
この辺りは街道であったため、旅人が宿を借りることもあった。そこで人はこっそりとこんなことを言い合った。
「あの家の主人は重大な秘術を受け継いだ者だ。その秘術で旅人を馬に変えて売っているのだ」
そのほか、確かなことは不明であった。

またある時、六人の旅人がこの家を訪れた。五人は俗人、あとの一人は修行の僧である。亭主は六人を迎え、枕を六つ出すと、
「お疲れのことでしょう。まずはお休み下され」
というので、俗人の五人は言われるがままに臥せた。
僧だけは丹後で人を馬に変える亭主の噂を聞きかじっていたので、用心して寝ることなく、座敷の奥で構えていた。
僧が垣の隙間から内側を覗くと、家の者が忙しくしている様子が見えた。小刀で垣の隙間を少しくりあけてよく見ると、畳ほどの大きさのものに、土が一杯盛られている。その上に家のものが種を撒き、上から筵を被せた。釜では飯を焚き、鍋では湯をわかしている。
茶を四五服嗜むほどの時間が経ったころ、
「もういいだろう」
と言って筵を取ると、青々とした草が二三寸にも伸びて、生い茂っていた。葉は蕎麦に似ていた。
それを摘んで湯で煮て、蕎麦のように和える。それを大きな椀に盛り、菜にして飯を旅人六人に出した。俗人は皆起きて、「珍しい蕎麦だなあ」と言って食べた。僧は食べるふりをして、隅のすのこの下に皆捨ててしまった。
その後で家の者は風呂を焚き、
「湯が沸きました。風呂にお入り下さい」
と言うと、
「尤もなことよ」
と言って、俗人達は皆風呂に入った。僧は風呂に入るふりをしながら、脇へ外れて厠の中へ隠れた。すると、亭主がきり、金槌、釘を持ってきて、風呂の戸を打ちつけてしまった。ここで客僧は、こんなところで人に見つけられてはどうもこうもないと思い、暗闇に紛れて風呂のすのこの下へと入った。
事が静まった後、暫くして、
「もう良いころだ。戸を開けよ」
と亭主が言い、釘抜きで戸を開けると、風呂からは一頭の馬が、いななきながら走り去っていった。夜ゆえ門は閉ざされているので、馬は庭に留まって、駆け回っていた。その後、また一頭、また一頭と現われて、全部で五頭の馬が風呂から出てきた。もう一頭(僧のこと)出てくるだろうと亭主は待っていたが、当然現われるはずもない。火を灯して覗いたものの、風呂の中には何もなかった。
「もう一人は何処へいったのだ」
と僧を探し回っている隙に、僧はすのこの下から出て、後ろの山を登り、遠くへと逃げていった。

その翌日、僧は守護所へ赴いて、あの家での出来事を事細かに語った。守護は言った。
「それはけしからぬ事だ。それでは、あの話は真実だったのか」
そして数人を引き連れてあの家へ向かい、住んでいた者を皆打ち殺した。


宵曲は同書の中で、中国の『幻異志』に見える三娘子の話と、『アラビアン・ナイト』の一エピソードにも言及していて、なかなか面白い考察となっている。


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