第二十八話:猫又
解説:猫は犬と共通の祖先を持つ哺乳類であるが、人に従順な犬に比べて人に懐き難い自由な動物である。その為だろうか、犬に「南総里見八犬伝」や「早太郎伝説」などの美談がある一方、猫は他頁で解説した「竜田姫」のように化けて出るなど、一部を除いてはあまりいい扱いはされていないように思える。かの有名な「猫と南瓜」の話などは、猫のおぞましいまでの執念を扱った話としては最恐のものである。
ただし文学や芸術に於いて自由奔放な猫は扱い安い存在なのか、夏目漱石の「吾輩は猫である」や宮澤賢治の童話から始まり、ジブリ映画「耳をすませば」まで、猫は犬に比べ、作品世界では圧倒的に活躍している。妖怪画や風刺画を数多く描き、武者絵でも大成した絵師・歌川国芳も猫が大好きだったそうで、数多くの猫を描いている。
年を経た猫は、尾が二つに分かれて人をたぶらかすようになるという。これを猫又と言う。
「曾呂利物語」にこんな話が載っていた。
●山の家では、「ぬたまち」と言って山から鹿が下りてくるのを庵の中で待ち伏せすることがある。或る男が、日が沈んでからすぐに行ってぬたまちをしていると、男の女房が片手に行灯を持って、杖をつきながらやってきた。女は男に言った。
「今夜はとりわけ寒く、嵐も激しいですので早くお帰りになってください」
男は何で女房がこんなところまで来たのか、なるほど変化のものではなかろうかと思った。そこで、
「お前は一体何者だ。どうして俺をたぶらかそうとするのか。矢を一つ用意してあるからこれを受けてみろ」
といったところ、女は、
「あなたは何かに取り憑かれているのでそんなことをおっしゃるのですか。さあ、早くお帰り下さい。私が案内しましょう」
と言う。男は、例え妻であるとはいっても、夜中にここまで来るのはおかしいと思ったので、大雁股で真ん中をかけずに射通したが、手に持っていた行灯も消えて女の行方が分からなくなった。男は、
「家に帰ろう。こんな不思議な目に遭った夜は、事が思い通りに運ばないものだ」
と思って帰ると、家の門の入り口に流血の跡があった。
「これはどうしたことだ、まさか先ほどのは本当に・・・」
と肝を潰して慌てて寝室へ行ったが、そこには女房がいて、
「どうして今夜は早くお帰りになったのですか」
などと言った。女房は無事であったのだ。
それから血の跡を突き止めてみると、何と年を経た自分の飼い猫であった。
それからは猫を飼っていないということだ。