■青頭巾


●昔、快庵禅師という名の徳の高い聖がいらっしゃった。
 若い頃から経文の外側に存在する禅宗の本旨を御理解され、雲水として足の赴くままに旅をしておられた。美濃の国(今の岐阜県南部)の竜泰寺で一夏を修行して過ごされ、今秋は奥羽の方で暮らそうと御出立された。快庵禅師は巡りに巡って、下野の国(今の栃木県)にお入りになった。
 富田という里に来たところで丁度日が暮れたので、快庵禅師は富み栄えていそうな大きな家に立ち寄って、一夜の宿をお求めになった。しかし田畑から帰る男達は、この僧が黄昏時に佇んで居るのを見て、ひどく怖がっている様子である。
「山の鬼が来たな、皆の衆出て来い」
 彼らは騒ぎ立てる。すると家の中までも騒ぎ声が起こり、女子供は泣き叫び、転げながらも家の隅々へ隠れてしまった。そのうち、家の主人が天秤棒を持って走ってきたが、外のほうを見ると、年も五十に近いと見える老僧が居る。老僧は頭に紺色で染めた頭巾を被り、破れた黒衣を着て、背中には包みを負っていたが、杖を使ってさし招き、こう言った。
「そなたはどうしてそれ程までに用心されるのか。国々を渡り歩いて来た僧が、今夜ばかりの宿を借りたいと言ってここで人を待っていたのに、予想もせぬことに、これほどまでに怪しみなさるとは。こんな痩せた法師が強盗なんぞする訳でもなかろうに、左様に怪しみなされるな」
 主人は棒を捨て、手を打って笑い、
「里の者達の愚眼から、あなたを驚かせてしまいました。すぐ宿を設けますので、我らが罪を御赦し下さい」
 と言って非礼を詫び、禅師を奥の方へ迎え、快く食事を勧めて御もてなしをした。
 家の主人はこう語った。
「先程村の衆が御僧を見て、鬼が来たなどと恐れたのには、ちゃんとした訳が御座います。今から語るのは世にも稀な物語です。怪しい話ながら、是非とも人にお伝え下され。
「実はこの里の上の山に、一軒の御寺が御座います。元は小山氏の菩提寺であり、代々徳の高いお坊様が住んでいらっしゃいました。現在の阿闍梨というのはある御方の養子であり、とりわけ学問や修行に熱心だというご評判で、この国の者は香や蝋燭を運んで帰依し申し上げていました。阿闍梨は我が家にも度々来訪され、分け隔てなく仕えておりました。
「ところが去年の春のことでした。阿闍梨は越の国の方へ灌頂の儀式の戒師として迎えられ、そこに百日程御逗留されていたのですが、その国から十二、三歳の稚児を連れてお帰りになり、日々の手助けの為にお使いになっていたのです。その稚児は姿形が綺麗であったので、お坊様はそれを大層可愛がられ、その為に日々の勤めもおろそかにされていました。
「そんな折、今年の四月頃になって、その稚児が突然の病に倒れました。日の経つごとに童の病気が重くなっていくのを阿闍梨はひどく悲しまれ、国府から名誉のある医者をお呼びになったのですが、その甲斐虚しく、稚児はとうとう死んでしまいました。懐の宝石を奪われ、頭に挿していた花を嵐に飛ばされた様に思われた阿闍梨は、泣いても涙が出ず、叫んでも声の出ない程にひどくお嘆きになるあまり、稚児の亡骸を火葬しようとも土葬しようともせず、死体の顔に自分の顔をくっつけ、その手を取って日々過ごされていました。そのうち終に精神をお病みになり、稚児の生前と同じように亡骸と戯れておりましたが、死体の肉が腐って爛れて行くのを惜しむあまり、その肉を吸い、骨を嘗めて、とうとう亡骸を喰い尽してしまったのです。
「寺中の人々は『院主様が鬼になられた』と言って、皆慌てて逃げてしまいました。その後の阿闍梨は、夜な夜な里に下りては人を驚かし、または墓を暴いて新しい死体を喰らっていました。その有様は、昔話で聞いていた鬼が、現実に現れたものでした。しかしながら、どうやってあの鬼を制することが出来るというのでしょう。私どもに出来ることと言えば、ただ夕暮れ時になって、家ごとに堅く戸を閉ざすことばかりでした。近頃はそれが国中に知れ渡り、人の行き来さえなくなってしまいました。そんなこともあって、あなたを鬼と見間違えたのです」
 禅師は主人の話を聞き、こう言った。
「世には奇妙なことがあるものですなあ。おおよそ人として生まれながら、仏菩薩の教えが広大なのを知らず、愚かでひねくれた心のままで死んでいく者は、その愛欲や邪念の業障に足を取られ、ある時は生前の姿を現して怒りを報い、またある時は鬼や蛟となって崇りをなすという例が、昔から今に至るまで数え切れぬほど多くあります。また、人が生きながら鬼になることもあります。楚王の宮人は大蛇となり、王含の母は夜叉となり、また呉生の妻は蛾になったと言われています。
「また、昔或る僧が旅の途中に怪しい家で一夜を過ごした時、その夜は風雨が激しく、灯火さえない侘しさになかなか寝付けなかったところ、夜も更けて羊の鳴く声が聞こえて来ました。しばらくすると僧の眠っている様子を窺い、しきりに匂いを嗅いで来るものがあります。僧がこれを怪しんで、枕元の禅杖で強く叩いたところ、それは大声で叫んでその場に倒れました。この音を聞きつけ、家の主人である老婆が灯りを持って駆けつけると、若い女が打たれ、倒れていました。老婆は泣きながら、僧に娘の命を乞いました。僧は仕方がなく、娘を許して家を後にしましたが、後日用のついでに再びこの里を通ったところ、田圃のなかに人が多く集まって居るのを見かけました。僧が立ち寄り、『これは一体なんなのだ』と問うと、里人はこう言いました。『鬼になった女を捕らえ、今土に埋めたところなのです』と。
「しかしながら、これらの例は全て女ばかりで、男が鬼と化した例は聞いたことがありませぬ。おおよそ、女の性のひねくれた部分が、女をこのような浅ましい鬼にするのです。
「また男でも、隋の煬帝の臣下に麻叔謀という者がいました。この男は子供の肉を好み、密かに国の民の子供を攫ってはそれを蒸して喰らっていましたが、これは浅ましい野蛮な心からきたものであり、御主人の語られた話とは異なります。
「それにしても、その僧が鬼となったことは、過去の因縁によるものなのでしょう。そもそも常日頃の修行で備わる徳の素晴らしさとは、仏に真心を尽くして仕えたことなので、もしも阿闍梨がその童を育てなかったのであれば、嗚呼、きっと良い僧になれたはずなのに。一度愛欲の迷路に迷い込み、邪念による苦しみの炎の激しさにより鬼となったのも、まったく実直で逞しい阿闍梨の性質によるものだったのでしょう。心を解き放てば妖魔となり、収めれば成仏の結果を得るとは、この法師が良い一例です。拙僧がもしこの鬼を仏道へと導き、元の心に還らせることが出来るのであれば、主人への今夜のお礼となることでしょう」
 禅師がこのような有り難い志を起されると、主人は頭を畳に擦り付け、涙を流して喜んだ。
「御僧がこれを成功されれば、この国の者は極楽浄土に生まれ変われるようなものです」
 山郷に一夜の宿を借り、ほら貝を吹く音も鐘の音も聞こえず、二十日過ぎの月も出て、古戸の隙間からその光が漏れて居るのを見て、夜が更けたことを知り、
「さあ、休ませてくだされ」
 と言って、禅師は自分も寝室へと入って行った。


 山寺には誰も定住することがなかったので、楼門にはいばらが覆いかかり、経閣も空しく苔が蒸している。蜘蛛が巣を張ってそれぞれの仏像を結び、燕の子の糞で護摩壇の床は埋もれ、方丈や廊房は全てひどく荒れ果てている。そんな中、太陽が申の方角(西)に傾く頃、快庵禅師は寺に入って錫杖の鈴をお鳴らしになり、
「私は諸国行脚の僧です。一夜の宿をお貸し頂きたい」
 と何度も読んだが一向に返事がない。しかし、そのうち寝室から一人の痩せこけた僧がとぼとぼと歩いて来て、しわがれた声でこう言った。
「御僧は何処へ向かおうとしてここに来たのです。この寺は訳有ってこれほどまでに荒れ果て、今では人も住まない野原と成り果ててしまいました。故に一粒の食糧もなく、一夜の宿を貸すことの出来るような配慮も何一つ出来ませぬ。早く里へ下りなされ」
 すると禅師も言った。
「これなる身は美濃の国を出て、陸奥まで行こうとしている旅の僧ですが、この麓の里を通ったところ、山の形や水の流れを興味深く思い、思いがけずもここへ参ったので御座います。日も傾いておりますし、里へ下りるにも道は遠いことです。何も仰らずに一夜の宿をお貸し下さい」
 すると寺の主人であるこの僧は言った。
「こんな野原のようなところでは、良くないこともあることでしょう。あなたを無理に止めることは出来ないが、無理に里へ下りろとも言えない。あなたの心に任せることにしよう」
 それきり、主の僧は何も言わなくなった。禅師も自分からは何も言わず、主の僧の側へ座った。
 見る見る間に日は暮れ、月の出ていない宵闇の夜は大層暗いのに、灯火も点けなかったので目の前のものさえ分からないという有様であった。ただ谷川の水の音だけが近くから聞こえてきた。主の僧もまた、寝室に入って物音一つ立てなかった。
 夜も更け、月夜となった。
 月光は美しく輝き、隅々まで洩らすところなく照らしている。子一つの刻(深夜)に近づいた頃、主の僧は寝室を出て、慌ただしく何かを探し回った。それが見つからないので、僧は大声で叫び、
「あの丸頭の糞坊主めが、何処へ隠れおった。この辺りに居たはずなのに」
 と言いながら、禅師の前を何度も走り過ぎるのだが、依然として僧に禅師の姿は見えていない。お堂の方へ駆けて行くかと思えば、庭を廻って躍り狂い、遂に疲れて倒れ、起きては来なかった。
 夜が明け、朝日が射し込む頃、酒の酔いが醒めたような風の僧は、禅師が元の所にいらっしゃるのを見て、ただ呆れたようにものも言わず、柱にもたれかかってため息をつきながら、黙っていた。
 禅師は僧の近くへ進み寄って、
「院主様、どうしてお嘆きになるのです。もし飢えていらっしゃるのであれば、拙僧の肉を以って御腹を満たして下され」
 と言うと、主の僧はこう返した。
「御僧は一晩中そこにいらしたのか」
 禅師は答えて、
「ここで寝ずに座っておりました」
 と言った。主の僧は、
「私はあさましくも人肉を好む者だが、未だに僧の肉の味を知らぬ。御僧こそは真の仏である。鬼畜の曇った眼で生き仏の来迎を見ようと思っても、見ることは出来ないのが道理なのですなあ。嗚呼、尊いことじゃ」
 と言って、頭を項垂れて静かになった。
 禅師は言った。
「里の者が語ったのを聞いたところ、あなたは一時の愛欲のために精神を病み、忽ち鬼畜の道に落ちてしまわれたということですが、それはあさましくも悲しくも、先例さえめったにないような悪因です。夜な夜なあなたが里へ下りて人々に害をなすので、近くの里の者は生きた心地もしませぬ。拙僧は是を聞き、それを放って置くことが出来ませんでした。それでわざわざここに来て、あなたに仏の道を説き、本来ののお心へと還って頂こうとしたのです。御僧、私の教えを聞きますか、それとも」
 主人の僧は言った。
「あなたは本当の仏です。これほどまでに浅ましい我が悪業を、すぐさま忘れることの出来るような理を私に教えて下され」
 禅師は言った。
「あなたが私の教えを聞くというのであれば、ここへ来なさい」
 そうして禅師は、簀子(すのこ)の前の平らな石の上に主の僧を座らせ、自分が被っていらした紺染めの頭巾を脱いで僧の頭に被せ、証道の歌の二句を僧に授けられた。

江月照松風吹(こうげつてらししょうふうをふく) 永夜清宵何所為(えいやせいしょうなんのしょいぞ)

「お前はここを去らず、静かにこの句の意味を考えるのだ。この句の真の意味が分かった時、お前は自ずから本来の仏心に辿り着くことが出来るだろう」
 こう丁寧に教えると、禅師は山を下りられた。
 その後、里の者達は重い災いから逃れることが出来たが、僧の生死が依然として不明だったため、皆疑い怖れて山に上ることを忌ましめた。

 それから一年があっという間に経ち、翌年の冬は十月の始め、快庵禅師は奥州からの帰り道にここをお通りになったが、あの日一夜の宿を与えてくれた主人の家に立ち寄って、僧の消息を尋ねられた。主は喜んで禅師を迎え、
「御僧の大徳のおかげで鬼が二度と山を下りてくることがなくなりました。里の者は皆極楽浄土に生まれ変わったかのように幸せに暮らすことが出来るようになりました。しかし、山に行くことを恐ろしがって、誰一人として山へ上ろうとするものはいませぬ。そういう訳で、あの僧の消息は分かりかねますが、どうして今でも生きていると言えるのでしょうか。今夜の御泊りの際、是非ともあの僧の菩提をお弔い下され。皆で供に回向し申し上げます」
 と言う。禅師は言う。
「あの方が善果によって亡くなられたのであれば、私にとっては仏道の先達とでも言うべき方になります。また、もし生きておられた場合は、まだまだ私の弟子の一人です。いずれにしろ、あの方の消息を確認せねばなりませんな」
 こうして禅師は再び山へ上られたが、いかにも人の行き来が絶えているようで、これが去年禅師ご自身が踏み分けた道であるとは、とてもお思いになることが出来なかった。
 寺に入ってみると、荻や尾花が人の背丈よりも伸びて高く生い茂り、草の露は時雨のように降り零れているところ、小道も草に隠れて見えない中に、堂閣は戸が左右に倒れ、方丈や庫裏に続く廊下も、朽ちた部分から雨水が染み入り、そこに苔が蒸していた。そして、例の僧を座らせておいた簀子(すのこ)の辺りを探してみると、僧か俗人かも判然としないほどに髭髪の乱れた影のような人物が、葎(むぐら)は結ばれて解けず、尾花が押し合うようになびく中に居た。その人物が蚊の鳴くような細い声で、うんともすんとも聞こえないように、途切れ途切れに何かを唱えるのが聞こえてきた。

「江月照松風吹 永夜清宵何所為」

 禅師はこれを御覧になり、そして禅杖を持ち直し、

「作麼生何所為ぞ(そもさんなんのしょいぞ)」

 と一喝してその人物の頭を撃たれると、忽ちのうちに、その人物の体が、まるで氷が朝日を受けたかのように消え失せ、青頭巾と骨だけが草葉の上に止まった。本当に長く続いた執念がここにとうとう消滅したのであろうか。何か尊い道理があるのだろう。

 その後、快庵禅師の大徳の評判は海外まで轟き、
「達磨大使の肉は未だ乾いてはおらぬのだ」
 と誉めはやされたということである。そして里の者が集まり、寺の中を掃除し、修理を施し、禅師をそこの住職に推して崇め、この寺に住まわせた。
 禅師はその後、密宗を改め、ここに曹洞宗の霊場をお開きになった。今もなお、この御寺は尊くも栄えているという。


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