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【雨月物語】










はじめに

●「雨月物語」とは江戸時代、上田秋成という人物によって書かれた怪異小説集です。明和五年(1768)には完成していたと言われており、その後幾度か推敲が重ねられ、安永五年(1776)に刊行されました。その書名の由来は、序文にもある「雨霽月朦朧之夜」に由来します。
その文章は読まれたことがなくとも、高校で習う文学史には必ずと言って良いほどその名が出てくるので、知っている方も多いと思います。ただしそれがどんな作品なのか、と問われれば、答えられる人は限られてくるでしょう。

『雨月物語』は九篇の小説から成る短編集です。
具体的な作品名を記せば、「白峰」、「菊花の約」、「浅茅が宿」、「夢応の鯉魚」、「仏法僧」、「吉備津の釜」、「蛇性の婬」、「青頭巾」、「貧福論」がそれに当ります。
九篇に共通することと言えば、やはり「怪異」を扱っているという点が挙げられます。怖さの程度は様々なのですが、生霊、死霊、蛇精、金霊、魔王などなど、この作品では数多くの怪しい存在が跋扈し、時には人間を死に追いやったり、また時には議論を繰り広げたりと、それぞれが種種多様な振る舞いをします。この作は読本(文章を主体とした読み物)の先駆的作品と呼ばれていますが、それが実は怪異小説であったとなると、意外に思われる方も多いかも知れません。
しかし、いくら怪異小説の元祖だからとは言え、それが優れたものではなければ今日「古典」として認知されるわけがありません。本書を古典的名作たらしめたものは、やはり文章にあると私は思います。

多く中国の白話小説から材を得、また和漢のあらゆる書物からの引用が多く目立ちますが、上田秋成の文章はただの摸倣に留まりません。秋成は白話小説から得た題材を自分なりに工夫し(時にはより面白く、美しくし)、それを引用した修辞によって肉付けすることにより、今までに無い、より文学性の高い話を作ることに成功したのです。そこに秋成の古典に対する深い造詣が関与していることは言うまでもありません。皮肉にも、そこが現代人にとって、読むのに最も苦労するところではありますが…。
その文章は優美且つ幽玄であると言われ、かの芥川龍之介も小説の書き出しを「雨月物語」を参考にしたと言われています。また、三島由紀夫も戦時中、戦火の魔の手が忍び寄る中、この「雨月物語」が収録された秋成全集を自らの「歩右の書」として持ち歩いていたそうです。三島は殊にこの「雨月物語」を愛していたようで、その中でもとりわけ「白峰」と「夢応の鯉魚」がお気に入りだったそうです。時代を超えて、これほどまでにいろんな人から愛された怪異小説というのもなかなか珍しいものだと思います。やはり「雨月物語」には、我々の心を捕らえて離さない、何かしらの強大な魅力があるのです。
斯申す私は、とりわけ秋成の廃墟描写が好きなのですが、そこにはリアリティとともに、荒れ果てた中に美を見出すという「廃墟の美学」があります。たとえば「青頭巾」のこんな文章、

山院人とどまらねば、楼門は荊棘(うばら)おひかかり、経閣もむなしく苔蒸しぬ。蜘(くも)網をむすびて諸佛を繋ぎ、燕子(つばくら)の糞護摩の牀をうづみ、方丈廊房すべて物すさまじく荒はてぬ。

こうした文章は容易に思いつきそうでいて、実際は中々書けるものではありません。また、廃墟とは関係ありませんが、「菊花の約」に於ける秋成が描写した夜のこんな文章、

銀河影きえ/\ ``に、氷輪我のみを照らして淋しきに、軒守る犬の吼る声すみわたり、浦浪の音ぞここもとにたちくるやうなり。

古文が読めなくとも、漢字や単語などから夜の寂しさが十二分に伝わってくる名文です。家の外に出て、義兄を待つ男の心細さをも、この文章は表現しています。

●予てよりこの『雨月物語』の怪異性、文学性に憧れた私は、自分の妖怪サイトの名前を『雨月妖魅堂』とし、またそのサイトの一コンテンツとして、本頁を作るまでに至りました。魑魅魍魎のように数多ある江戸怪談の中で、とりわけ美しく輝いている本書を紹介することには非常に大きな意義があると確信しております。そこで皆さんに『雨月物語』を知っていただく手っ取り早い方法として(素人の成すこと故、不十分さは否めませんが)私は「雨月物語」の現代語訳を試みました。
古文の辞書や先達の業績たる注釈を引き、自分なりに秋成の文章を現代の言葉で再構築していくうちに、今まで漠然としていたこの作品の凄さというものの一端を理解することが出来ました。それらも頁を改めて語ることが出来たらなあ、と思います。
古典という理由で、名が知られている割にはあまり読まれていない『雨月物語』を、既に読まれた方は勿論のこと、未読の方にまず「現代語訳」として読んでいただき、次のステップとして原文に進んで頂くことこそ、本頁で目指すべき第一の目標です。是非是非このサイトを御覧になった後、先達の名訳や原文もお読み頂ければ幸いです。


作者・上田秋成について

●上田秋成は1734年、私生児として大阪に生れました。
五歳の時天然痘に罹り、幸い命を取りとめたものの指が不自由になってしまいます。「雨月物語」で使用されている秋成の号「剪枝畸人」の「剪枝」とは、枝を切るという意味であり、自分の不自由な指を自嘲的に喩えたものだと言われています。其の外の号としては、余斎、鶉居、無鳥、魚焉など。
秋成の逸話としては、下戸だったために煎茶を好んで飲んだ、医者をやっていた、あの本居宣長と激論を交わしたなど、面白い話が数多くあります。あの『雨月物語』の作者が医師だったなんて、なかなか意外なことです。
晩年、秋成は失明してしまいました。彼の著作「春雨物語」所収の「目ひとつの神」に登場する、一つ目の神のモデルは、失明した彼自身であるとも言われています。剪枝畸人のペンネーム、自画像、作品など、秋成の自嘲癖を示すものは数多く残っています。
また私生活に於いても多くの天才の例に漏れず、寂しいものであったと言われています。古典の研究に力を入れていたようですが、とりわけ万葉集の研究に没頭していたようです。
秋成は『雨月物語』が良く知られていますが、その他の著書をここに紹介したいと思います。


現代語訳にあたって
●底本について
本現代語訳は、主に「雨月物語」(高田衛・稲田篤信/校注、ちくま学芸文庫)の活字本を底本にさせて頂きました(上の活字本の底本は東京都立大国文学研究室蔵の安永五年刊本です)
●現代語訳について
古文辞典を引きながら、また「雨月物語」(高田衛・稲田篤信/校注、ちくま学芸文庫)等の注釈を参考にさせて頂きながら、出来る限り原典の持つ文章の流れを尊重するように努めました。しかし意味が通じにくかったり、現代語訳にしてみて文章の流れがぎこちない箇所については語・文の補充・省略、意訳を施しました。
●訳の正確性について
特に大きな間違いはないと思われます。自身のない箇所については市販の雨月訳を読んで確認しました。今後間違いが発覚した時には、更新報告なく訂正して行きますのでご了承下さい。
●本頁の引用・リンクについて
報告は特に要りません。ただしそれらの際には、当サイトの名前『雨月妖魅堂』とURL(http://mouryou.ifdef.jp/)を、誰からも分かりやすい場所に明記して下さるようお願いします。


「雨月物語」現代語訳



白峰

菊花の約

浅茅が宿

夢応の鯉魚

仏法僧

吉備津の釜

●蛇性の婬

青頭巾

●貧福論



諸篇戯言
●白峯
雨晴れて月朦朧の夜に窓下で編成されたという「雨月物語」の第一話目は、或る人物の旅の軌跡を辿っていくところから始まります。この「或る人物」とは、後に名前が明かされますが、朦朧たる月の容貌の如く、冒頭ではまだ分かりません。「嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」という歌の作者、つまり西行です。
そしてこの作のもう一人の主人公は、「妖魅百物語」でも紹介した崇徳院です。崇徳についてはリンク先をお読み下さい。本作を読む上で、保元・平治の乱から壇ノ浦までの平氏興亡史を一通り頭に入れておくと、更に理解が深まります。
この二人が夜の白峰で出会うのですから何とも豪華な共演です。崇徳は怪鳥を操り、世の中を混乱させようとしますが、対する西行は昔の徳の高い崇徳天皇を知っているので、それを諫めようとします。和漢の故事を引き合いに出しながら議論は続き、最後には両者相容れずに物語は終わります。
読みどころは紀行文のように美しい冒頭、そして崇徳が天狗の姿に変ずるシーンでしょう。
●菊花の約
同性愛文学としても名高い一篇。
はて、どこが同性愛的なのかと最初思いましたが、どうやら作品の設定や構造が、江戸の人には衆道ものを想起させるようになっているのだそうです。
主人公は学者の丈部左門と、出雲の武士・赤穴宗右衛門です。ふとしたことから左門が赤穴を助け、やがて二人は兄弟の契りを結びます。赤穴は一端故郷へ戻りますが、その際左門に帰る日を約束し、発ちます。待つ左門と、思わぬ事態に陥りながらも約束を守ろうとする赤穴。確かにこう書いてみると、同性愛文学のように思えます。主人公を男女にすれば、そのまま次篇の『浅茅が宿』にもなりますし。尤も、あちらは「待つ側」が幽霊なのですが…
好きな箇所は、「はじめに」でも紹介した夜の静寂の場面です。それと途中、本筋と関係なく挿入される晴天の町の風景も、悲劇の前の長閑さというのか、再読する度に哀しい気分にさせます。
(参考サイト:
●浅茅が宿
前作が「待つ弟と約束を守る兄」の話ならば、こちらは「待つ妻と約束を守れなかった夫」の物語でしょう。更に、今度は「待つ側」を幽霊にして、秋成は美しくも哀しい幻想譚を作り上げました。
「菊花の約」では、赤穴は現れてすぐに自分が幽霊であると言ってその正体を明らかにしましたが、本篇に登場する亡霊・宮木は、一晩明けたところで不意に夫の前から消えてしまいます。宮木の最後の三十一字「さりともと思う心にはかられて世にもけふまで生ける命か」というのが古びた那須野紙に書かれており、これによって夫は初めて、妻がもうこの世の者でないことを悟るのです。この辺りの文章の巧みさは、「菊花の約」を凌ぐものだと私は思います。
本篇では、荒れ果てた「浅茅が宿」の描写が先述した「廃墟の美」を感じさせ、素晴らしいものだと思いました。また和歌が効果的に挿入され、その意味の分かる人にとっては深く印象に残る文章です。
●夢応の鯉魚
絵の巧みな僧・興義の不思議な体験を綴った作品。全編の中で最も読みやすく、作品の世界に入り易いのでないかと思われます。
「古今著聞集」に名前のみ伝わっている僧を主人公とし、興義の死後、魚を書いた画を湖に散らしたら、魚が画から出て湖へ去ってしまった。だから興義の画は後世に伝わっていないのだ、などと辻褄合わせもしっかりなされています。
本篇の最大の見所とは、やはり鯉になった僧の目から見た、琵琶湖周辺の風景描写でしょう。古典から引用した和歌の文句を多用することで、まるで画に色を着けるかのように鮮やかに、美しい風景を描いています。同時に、一匹の魚が自由気ままに泳ぎ戯れる様が良く伝わってくる名文です。
●仏法僧
高野の山の中で一晩を明かすことになった親子が、そこで奇妙な一団と遭遇し、自作の歌を披露させられる話です。仏法僧という鳥の「仏法(ぶっぱん)、仏法(ぶっぱん)」という啼声は、登場人物たちはやたら有難がっていましたが、どうも私には不気味としか思えません。
ちなみに、「ブッポウソウ」なる鳥は実在します。羽の青と緑が鮮やかな綺麗な鳥で、夢然が言っていたように、霊山の林の中で良く姿を見つけることが出来ます。
しかしながら、「ぶっぱん、ぶっぱん」と啼いた鳥はこの鳥でなく、コノハズクのことであると考えて間違いありません。ブッポウソウとコノハズクは生息地が良く似ている為、昔の人はブッポウソウの声とコノハズクの声を間違えたらしいのです。確かに、空海も詩偈に詠んだ程の霊鳥ならば、姿の美しい前者を「仏法僧」としておいた方が、より有り難味が増しそうですが、実際のブッポウソウの声は汚いものだと言います。このことから、前者を「姿のブッポウソウ」、後者を「声のブッポウソウ」などと呼ぶそうです。
また、文中に見える「悪逆塚」とは、秀吉により秀次が処刑された後、秀次の妻子や妾三十人余りが処刑され、その霊を弔うために設けられた塚だということです。現在は鴨川の氾濫により、現存していないとのこと。
(参考サイト:
●吉備津の釜
日本一怖い怪談の一つ。
吉備津の御釜祓いの結果に従わなかった男女が破滅していく過程を描く作品です。主人公の磯良(いそら)は、最初生霊となって妾を殺し、今度は死霊となって浮気をした夫に復讐をしようとします。その出現の仕方も巧みなもので、ある時はさる方の未亡人として夫の前に現れ、
めづらしくもあひ見奉るものかな。つらき報ひの程しらせまいらせん
などと言って驚かしたり、最後の場面では、夫を髻一つばかり残して何処かへ攫ってしまったりと、前半では貞女だった女が一変、恐ろしい死霊へと変貌します。
これと比べたら、次篇に登場する蛇精・真奈児がまだまだ甘く見えます。
(サイト内参考ページ:「釜鳴」「牡丹燈籠」)
●蛇性の婬
近日公開予定
●青頭巾
「菊花の約」同様、こちらも同性愛色の強い作品。しかもそれに加えて、本篇にはカニバリスム(人肉嗜食)というテーマもあります。「青頭巾」が日本の吸血鬼譚と呼ばれるのは、その為です。
私としては、「吉備津の釜」の次に怖い話しであると思います。稚児を連れ帰った僧が、稚児の死んだ後もその亡骸を肌身離さず持っていて、やがてはそのいとおしさの余り、死体の肉を食べてしまう。こんな衝撃的なエピソードがあり、読者を戦慄させます。
僧が人間を食べたという話はこれだけですが、何故か本篇の挿絵には、本文に一度も出てこない場面、つまり道行く人を襲う僧の姿が描かれており、非常に不気味です。
また、鬼と化した僧が、夜の間は快庵禅師の姿が全く見えなくなる、という設定が面白いです。
(関連書:『怪談』>>「食人鬼」(小泉八雲))
●貧福論
近日公開予定

更に「雨月物語」を知るために

●ここでは、私が実際に読んだ書籍を紹介して行きます。本頁読了後、是非読まれることをお薦めします。

◇現代語訳
●『新釈雨月物語 新釈春雨物語』(石川淳/ちくま文庫)
名訳と謳われる石川訳『雨月物語』『春雨物語』です。「夢応の鯉魚」で時間の並び替えを行ったり、『仏法僧』の最後には作者独自の余韻残る一文を入れるなど、様々な新しい試みの行われている現代語訳です。
◇活字本
●『雨月物語』(高田衛、稲田篤信/ちくま学芸文庫)
原文、語注、現代語訳、解説、参考文献などなど、『雨月物語』に関する多くを本書から得られます。非常に充実度の高い本であり、私の好きな一冊です。
特に『雨月物語』が各篇単独の物語ではなく、そこには関連性があるということを本書で知り、ますますこの作品の奥深さを知りました。
●『雨月物語』(水野稔/明治書院)
活字文、注釈。何も考えず、ただ『雨月物語』を原文で読みたい、またシンプルなテキストが欲しいという方にお薦めの一冊です。
また、巻末には上田秋成年表などが載っており、作者・上田秋成がどういう人物であったか、ということを知るのに役立ちます。
●『雨月物語』(上・下)(青木正次/講談社)
原文、語注、現代語訳、解説。全二巻。
文庫ということ、また出版元が講談社という比較的大きなところである為、最も入手し易い本です。現代語訳、解説も充実しているので、お薦めの一冊です。
◇影印本
●『雨月物語 影印本テキスト』(勉誠社)
江戸のくずし字が読める方はこちらも是非。原典は国立国会図書館所蔵・安永五年版です。
◇関連サイト

●東京大学総合研究博物館・デジタルミュージアム「雨月物語」
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/UGETSU/HOME.HTM

●松岡正剛の千夜千冊『雨月物語』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0447.html

●青空文庫:岡本かの子『上田秋成の晩年』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000076/card4187.html


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