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■浅茅が宿


●下総の国葛飾郡の真間の里に、勝四郎という男がいた。
祖父の代から長くこの地に住み、多くの田畑の持ち主となって豊かに暮らしていたが、物事に無関心な性格から、農作を煩わしく思って避けているうちに、とうとう家は貧しくなった。そのうち親戚の多くにも疎んじられていたのを心に沁みて悔しく思い、どうにかして家を再興してやらねば、と様々な計画に思いを巡らせていた。
 その頃、雀部(ささべ)の曾次という人が、足利染の絹を交易するために毎年京から下って来ていた。雀部はこの里に自分の親戚がいたのを頼ってしばしば訪れていたので、以前から勝四郎とは親交があったのだが、勝四郎はこの男に、自分も商人となって京へ上りたいと頼んだ。すると雀部は簡単にそれを引き受けてくれて、
「いついつの頃に京からこちらの里へ参ろう」
 と言った。勝四郎は雀部の頼もしさを喜び、残りの田圃を全て売りつくして金に代え、絹を沢山買い込み、京へ上る日に備えての用意を整えていた。
 勝四郎の妻の宮木という者は、人も思わず目を留めてしまうような容姿の上に、気立ても愚かではなく、良い女であった。宮木はこの度、勝四郎が品物を買い揃えて都へ上ると言うのを気がかりに思い、いろいろに言い諫めようとしたのだが、勝四郎は常日頃から物事に乗りやすい質だったので、宮木にはどうしようもなく、梓弓の末のように心細いこの先の暮らしの事を思いながらも、骨身を惜しまず支度を整えてやった。勝四郎の出発前夜、宮木は夫と離れたくないという別れの気持ちを語り、
「このままでは頼るものもない女心は、野でも山でも戸惑うようで、私はつらい限りでございます。朝も夜も私をお忘れにならぬよう、早くお帰りになって下さいませ。命さえあればとは思うものの、明日はどうなるかさえ分からないのがこの世の道理。気丈な御心のあなたも私をお哀れみ下さい」
 宮木が言うと、勝四郎はこう言って慰めた。
「どうして浮木に乗っているかも知れないような、不安な国に長居しようか。葛の葉が裏返るこの秋には帰るつもりだ。心強くお待ちなさい」
 そうして勝四郎は、夜も明けると鳥の啼く東を出発し、京の方へと急いで向かった。


 今年享徳の夏、鎌倉の御所成氏(しげうじ)朝臣と管領の上杉との御仲が遠ざかり、館は戦火によって跡形もなく滅んでしまったので、成氏は総州にいる味方の元へ落ち延びられた。するとまもなく関東は混乱し、人々の心も別々の方向を向くような、混沌とした世の中になってしまった。年寄りは山に逃げ隠れ、若者は戦に駆り出され、
「今日はこの場所を焼き払う。明日は敵が押し寄せて来るぞ」
 と、女子供はあちこちへ逃げ惑って泣き悲しんだ。
 勝四郎の妻も何処かへ逃げなければと思っていたが、「今秋まで待っていろ」という夫の言葉をあてにしながら、不安な気持ちのうちに日数を数えて暮らしていた。ところが秋になっても風の便りも来ないので、混乱した世の中とともに人の心までも信頼出来ないものとなってしまったのですね、と恨み悲しみ落胆して、
身のうさは人しも告じあふ坂の夕づけ鳥よ秋も暮ぬと
(秋はもう暮れたのに夫が帰ってこないこの我が身の憂さを、人は夫に伝えてはくれぬだろうが、逢坂の夕づけ鳥よ、お前だけは「秋はもう暮れた」と夫に伝えてくれ)
 このように歌を詠んだ。しかし国の間は随分隔たっているので、これを夫の元へと言い送るような伝はなかった。
 世の中が騒がしくなっていくのに連れて、人々の心も恐ろしいものへと変わっていった。時折訪れる男も、宮木の容姿が美しいのを見ては、調子に乗って様々に誘惑してきた。しかし宮木は夫へ立てた操を固く守り、その男たちにつれなく振る舞い、その後は戸を閉ざして姿を見せなかった。そのうち一人だけ居た下女も去り、少しだけあった貯えも底を尽いて、その年も暮れてしまった。
 しかし年は替わっても世の中の混乱は未だに治まらなかった。更に去年の秋、将軍家の命令により、美濃の国の郡上の領主、東の下野守常縁(つねより)に御旗が与えられた。常縁は下野の領地へ赴き、親戚である千葉の実胤と共謀して成氏方を攻めた。それに対して成氏の陣営も守りを固くし防ぎ戦ったので、この戦がいつ終わるのかは誰にも分からなかった。野伏達はそこら中に塞を築き、火を放って財宝を奪った。関東の国々で安全な場所は何処にもなく、嘆かわしい世の損失となった。


 一方、勝四郎は雀部に連れられて都へ行き、絹などを残すことなく交易した。当時の都は豪華なものが好まれたので、勝四郎は良い利益を得て東へ帰る支度をしていた。ところが今度上杉の軍が鎌倉の御所を陥落させ、その跡を追って攻め討ったので、故郷の周辺は戦が頻発し、激戦の地となっているということが評判になっていた。目の前のことでさえも嘘偽りが多い巷の噂であるのに、ましてや雲が八重にも隔たる程に遥か遠くの国のこととなれば、勝四郎も気が気ではなく不安に思った。そこで八月の始めに都を出発し、木曽の真坂を一日で越えたのだが、盗賊達に道を塞がれ、荷物を残らず奪われてしまった。その上、人が語っているのを聞いたところ、ここから東の方には所々に新しい関所が設けられており、旅人の行き来さえをも許さないということだった。こうなれば妻へ便りを送る手立てもない。我が家も戦火によってなくなってしまったのだ。妻もこの世に生きてはいないのだ。それならば、たとえ故郷とは言っても其処は最早鬼の住処。勝四郎はここから都へ引き返して近江の国に入った。すると突然、勝四郎は具合が悪くなり、熱病に苦しむこととなった。
 そんな折、武佐という所に児玉嘉兵衛という裕福な人がいた。児玉の家は雀部の妻の実家であったので、それを頼って勝四郎が丁寧にお願いすると、嘉兵衛は勝四郎を見捨てずに労わってくれたのであった。その上、医者を迎えてひたすら薬事治療をしてくれた。やがて少し具合が良くなって来たので、勝四郎は嘉兵衛の深い情けをありがたく思い、礼を述べた。しかしながら、歩くことはまだ完全には出来なかったので、この年は思いがけずもここで春を迎えた。いつ頃からか、勝四郎はこの里でも友人が出来、生来の実直な心を誉められ、児玉を始めとして誰もが信頼の置ける仲となった。その後の勝四郎は、都へ行っては雀部を訪れ、また近江に帰っては児玉に身を寄せ、七年程の間をまるで夢のように過ごした。
 寛正十二年、畿内河内(京都の周辺と大阪南部)の国で畠山氏の兄弟同士の争いはまだ尽きず、都の周辺も騒がしかったが、春頃から疫病が盛んに流行し、屍体は路傍に積み重なり、人の心も今となってはその寿命も尽きてしまったのだろうと、人々はその限りない果敢なさを悲しんだ。
 勝四郎もよくよく考えた。こう落ちぶれてしまいすることもない我が身は、一体何を頼りにこんな故郷から遠い国に留まり、所縁もない人々の恩恵を受け、そしていつまで生きながらえる命だというのか。故郷に捨ててきた人の消息さえ知らずに、萱草(わすれぐさ)の生い茂る野原で長々しい年月を過ごしていたというのは、私の心に誠意がなかったということだ。たとえ黄泉の下の者となり、この世にはいないとしても、その息を引取った場所を探し出してそこに塚を築いてやろう。
 勝四郎は人々に自分の意志を伝え、五月雨の晴れている間にその人達と別れ、十日程かけて故郷に帰り着いた。
 故郷に着いた時、日は既に西に沈んで、雨雲が落ちかかりそうな位に暗かったが、昔から住み慣れた里であるので迷うこともあるまいと、夏の野を草をかき分けて進んでいった。ところが昔からあった継橋も川瀬に落ちていて、馬の足音もせず、田畑は荒れ放題に荒れてかつての道も分からず、あったはずの民家もなくなっている。時折、そこら辺に残っている家に人の住んで居るように見えるものもあるが、昔の様子とは似ても似つかぬ。
 一体どれが自分の住んでいた家なのか、と戸惑っていると、そこから二十歩ほどの距離の所に、雷に砕かれた松が聳え立っていたのが雲間から射す星の光によって見えた。勝四郎は、あれはまさしく自分の家の目印だと思い、嬉しい気持ちで歩いて行くと、家は元のまま、変わらずそこにあった。
 人も住んでいるようで、古い戸の隙間から灯火の光が漏れて爛々としているのを見て、勝四郎の心は騒ぎ立った。
「他人が住んで居るのだろうか、もしや私の妻が…」
 そこで門に立ち寄って咳払いをすると、家の中の方でも素早くそれを聞き取って、
「どなたです」
 と尋ねて来た。
 ひどく老けてはいたが、正しく妻の声であるを聞いて、夢だろうかと胸は騒ぎ、
「私が帰って参ったのだ。お前も変わらず、たった一人でこの浅茅が原に住んでいるというのは不思議なことだ」
 勝四郎がこう言うと、宮木は夫の声を聞き知っているので、やがて戸を開けたのだが、そこにはひどく黒みがかり垢付いていて、目は落ち窪んでいるかのようであり、結った髪も背中までかかっていて、自分の知っている元の妻とは思われぬ様子の女がいた。女は、夫を見て、何も言わずに只さめざめと泣いた。
 勝四郎は心がくらみ、しばらくの間は何も言えなかったが、少し経ってから口を開いた。
「今までお前がこんな様子で暮らしていると思っていれば、どうして遠国などで長い年月を過ごしただろうか。去る年、私がまだ都にいた頃に鎌倉での戦乱のことを聞いたが、軍勢が絶えてから、御所は総州に逃げて防戦なさっていた。管領の上杉は激しく御所を攻め立てた。私はその翌日に雀部と別れ、八月の始めに都を発ち、木曽路を進んでいたのだが、大勢の山賊達に取り囲まれ、衣服金銀を残らず掠め取られ、自分の命が辛うじて助かっただけだった。その上里の者が語っているのを聞いたところ、東海道、東山道には全て新たな関所が設けられ、人々を留めているということだった。また、昨日都から節度使の東下野守が御下りになり、上杉方に味方し、総州の陣へと向かわれた。この下総の周辺はすぐに焼き払われ、馬の蹄が一尺の隙もないほどに踏み付けられているというのを聞いて、既にお前も灰塵となられたのだろうか、それとも海に沈んでしまったのだろうかと、ただひたすら思い留め、再び京に戻ってからは、人に養ってもらいながらも七年間を過ごした。それが最近になって、無性に懐かしく思われるようになったので、せめてお前の亡くなった場所でも見たいと思いながらも故郷に帰ったのだが、まさかお前がこうしてこの世に生きていようとは少しも思っていなかったのだ。巫山の雲や漢宮の幻でもあるまいに」
と、際限もなく何度も何度も繰り返した。
 妻は涙を堪えて、
「あなたと一度離れてからは、頼りにしていた秋の来る前に恐ろしい世の中となってしまいました。里の者は皆家を捨てて海に漂流し、または山へと逃げ隠れました。偶々残った人々も、その殆どが残忍な虎狼の心を持っており、私に夫がいないのをいいことに言葉巧みに誘って来ましたが、玉と砕けて貞操を守り抜いても瓦のように身を汚して生きることはすまいと心に決め、幾度も辛いのを我慢しました。しかし天の川が秋の訪れを告げてもあなたはお帰りになりません。冬を待ち、春を迎えても、なんの便りもありませんでした。今となっては京に上ってあなたの行方を尋ねるしかないとも思ったのですが、男でさえも通行の許されぬ関所の鎖(とざし)を、どうして女が越えられる様な術があろうかと思い直し、軒端に松のある、あなたを待つにはあまりに心細いこの宿で、狐や梟を友として今日まで過ごしてきました。今となっては長い恨みも晴れ晴れとした事が嬉しく思います。二人が逢う時を待つ間に恋焦がれて死んでしまえば、人も知れずに恨めしいことでしょう」
 と言って再びよよと泣くのを、勝四郎は「夜は短いものだ」と言い慰めて、二人共に床に臥した。
 障子窓の張り紙が松風を啜って一晩中涼しく、長い旅路に疲れた勝四郎はぐっすりと眠りに就いた。五更の時刻になり、空が明るくなりつつある頃、意識のはっきりとせぬ心の内にも何となく寒さを憶えたので蒲団をかけようと手で探っていると、何だろうか、さやさやと音がするのに勝四郎は目覚めた。顔にひやひやと冷たいものが零れ落ちるのを、勝四郎は雨漏りだろうかと思い見てみると、屋根は風にまくられていて、白みがかった有明の月が空に残っているのも見える。家は戸もないといっても良い程である。簀垣の床の朽ちて崩れている隙間から、荻薄が高く生えていて朝露が零れるので、袖を絞れば水の滴るほどに湿っていた。壁には蔦葛が延びかかり、庭は葎(むぐら)に埋もれ、秋ではないが野原のような家と化していた。
 それにしても一緒に寝ていた妻は何処へ行ったのか、いなくなっていた。狐などの仕業かとも思ったが、こう荒れ果ててはしまったもののやはり昔住んでいた家に間違いなく、広く造った奥の間あたりから、端の方、納屋まで、自分が好んだままの形であった。
 勝四郎は呆然として、足の踏み場さえも分からなくなったようにそこに佇んでいたが、良く良く考えてみると、
「妻は既に死んでいる。今やこの家は狐狸の棲家へと取って代わり、こんな野原のような宿となっているので、怪しい物怪が化けて生前の妻の形を見せているのだろう。またはひょっとすると、私を慕う妻の魂が帰って来て親しく過ごしたのだろうか。私の思ったことは少しの間違いもなかったのだなあ」
 と思い、それ以上涙も出なかった。
「我が身一つは昔のままで」
 と言いながら歩き回って見ると、昔閨房だった所の簀(すのこ)の床を払い、土を積んで塚として、雨露を防ぐために工夫がしてある。夕べの霊はここから現れたのだろうかと考えると、恐ろしくもまた懐かしい。
 水を入れるための器が供えてある中に、木の端を削った、那須野紙のひどく古びたものがあり、そこに書いてある文字は所々消えかかっていてはっきりと見ることは出来ないが、これは正しく妻の筆の跡である。法名というものにも年月も記さず、哀れなことに、最期の気持ちを三十一字で記してあった。
さりともと思う心にはかられて世にもけふまで生ける命か
(そうは言っても夫は帰って来るだろうと思う気持ちに裏切られながら、よくも私の命は今日までこの世に生きながらえて来たことだ)
勝四郎は、ここで初めて妻が死んだということを自覚し、大声で叫んで倒れ伏した。そうであっても何年何月に妻が死んだのかさえ知らぬのは何とも浅ましいことだ。しかし誰か妻の死んだ日を知っている者がいるかも知れぬ。勝四郎が涙を堪えて立ち上がり、外へ出ると、日は高く射し昇っていた。
 先ず近い家に行き、その家の主人に会うと、その人は勝四郎が昔から見知っている人ではなかった。却ってその人から、「何処の国の者か」と尋ねられた。勝四郎は挨拶をして言った。
「私は隣家の主です。暮らしを立てるために都に七年間暮らし、昨夜帰って来たのですが、我が家は既に荒廃して人も住んではいませんでした。妻も死んでしまったようで、塚が立ててあったのを見つけたのですが、いつの年に死んだのか分からず、一層悲しく思っておりました。もしご存知ならば、私に教えて頂きたいのです」
 主人の男は言った。
「哀れな話を聞かせて頂いたものです。私がここに住むようになったのも、まだここ一年ばかりのことなのです。その方はそれよりも遠い昔にお亡くなりになられたようで、隣家に住まわれていた方が生きていた頃のことは分からないのです。この里に昔からいた人は、皆戦乱の始め頃に逃げていなくなってしまい、今この里に住んでいる者は、大方が他の土地から移り来た者です。ただ一人、老人が居られますが、この地に古くからいらっしゃる方のように見受けられます。時々あの家に行ってはお亡くなりになった方の菩提を弔っておられるようです。この老人こそ、亡くなられた方の命日をご存知に違いありませぬ」
 勝四郎は言った。
「それで、その老人の住んで居られる家はどちらにあるのですか」
 主人は勝四郎にこう教えた。
「ここから百歩行ったところの浜の方に、麻を多く植えた畑の主として、そこに小さな庵を構えて住んでおられます」
 勝四郎が喜んでその家へ行ってみると、七十歳程の、腰がひどく曲がっている老人が居て、庭竈の前に円座を敷いて茶を啜っていた。老人の方も勝四郎と判るや否や、
「お前さんはどうしてこんなに遅く帰って来られたのじゃ」
 と言う。勝四郎が老人を見ると、その老人はこの里に昔から住んでいる、漆間の翁という人だった。
 勝四郎はまず翁の長生きなのを祝い、次に都へ行って不本意ながらも逗留したところから、昨夜の怪しい出来事までを事細かに語り、老人が塚を築き、妻の菩提を弔って下さったその恩の有難さを告げながらも、涙を留めることが出来ぬ。老人は言った。
「お前さんが遠国へ行かれた後、夏ごろからこの里は戦場となり、里の者は所々に逃れ、若者は兵として駆り出されたので、田畑は狐や兎の住む叢となって荒れ果ててしまった。ただしっかりとしたそなたの妻だけが、お前さんが秋に帰って来ると約束されたのを信じて、家をお出にならなかった。わしもまた足が悪く、百歩進むことも難しかったので、家の奥に閉じこもって外へ出なかった。一旦は樹神(こだま)などという恐ろしい物怪の住処となってしまった里に、年若い女が勇敢にもいらしたのじゃ。これはわしが見てきた中では、しみじみと心打たれるものじゃった。
「しかしながら、秋が去り春が来ると、その年の八月十日に奥さんはお亡くなりになった。その気の毒さのあまり、わしの手で土を運んで棺を納め、奥さんが最期に残された筆の跡を塚の目印とし、御霊前に心ばかりの水を手向けたが、わしは以前より筆を執って字を書くことも知らぬので、奥さんの亡くなられた年月を記すことも出来なんだのじゃ。また、寺院が遠いので戒名を貰う術もなく、そのまま五年を過ごしてしまったのです。
「今の話を聞くと、それはきっと気丈な奥さんの魂がいらして、長年の恨みをお前さんに語られたに違いない。もう一度そこへ行き、懇ろにお弔いして下され」
 老人は杖を突いて勝四郎の先に立ち、共に塚の前に伏して声を上げて泣きながらも、その夜をそこで念仏を唱えて明かした。
 眠ることが出来ず、老人は語った。
「わしの祖父のそのまた祖父さえ生まれてはおらぬ遥か昔のことじゃ。この里に真間の手児女(てごな)というとても美しい娘がおった。家が貧しいので身には麻の衣に青衿を着け、髪さえも梳かさず、履物も履いてはおらなんだが、その顔は十五夜の満月のように美しく、微笑めば花の香りが匂うように艶やかで、綾錦を纏った都の上臈にも勝るほどだと言われ、この里のものは勿論、都から来た防人達や隣国の者まで、手児女に言い寄って恋い慕わない男はいなかった。それを手児女はつらいことだと思い沈みながらも、全ての人の気持ちに報いようとして、この入り江の波の中に身を投じた。これを世の中の哀れな例として、昔の人は歌にもお詠みになり、この話を語り伝えたのじゃ。
「私がまだ幼かった頃に、母が面白くも語って下さったこの話でさえ、とても哀れなことだと思いながらも聞いたのだが、この亡くなった人の気持ちは、かつての手児女のいじらしい心にも増して悲しいものじゃ」
 と語るうちに涙ぐんで、それを留めることは出来ぬのは、老人が悲しみを堪えることが出来なかった為である。勝四郎の悲しみはいうまでもない。
 この物語を聞いて、思いの程を田舎者の口はたどたどしくも詠み上げた。
いにしへの真間の手児女をかくばかり恋てしあらん真間のてごなを
(昔いたという真間の手児女を、私が宮木を愛したように昔の男も愛したのだろう)
思っている心の片隅さえも言い表されてはいないのが、思う心を良く口に出す人の心にも勝って、何か心打たれるものがあると言えるだろう。

 下総の国にしばしば通う商人が聞き伝えて語った話だそうだ。


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