■吉備津の釜
●「嫉妬深い女房程養い難いものはないが、老いてからその有難味が分かる」
というのは嗚呼、一体誰が言い出したことなのであろうか。害がそれほどひどくないにしても、商工の妨げになったり、ものを壊したりして近隣の噂の種になるが、害がひどい場合に至っては、家を失い、一国を滅ぼし、天下の笑いものとなる。昔からこの毒に当たる人は後を絶たない。死んで蛟(みずち)となり、または激しい雷を振るってその恨みをはらすようなものは、その肉を切り刻んで塩漬けにしてもまだ飽き足らぬほどであるが、そんな例は稀である。夫が自分の身ををきちんと治め、女房を教育すれば、この問題はおのずから避けることが出来るのに、ただひと時の浮気心が原因で女のねじけた根性を増大させ、心配事を自分から招いてしまうのである。
「鳥類を制するのは気である。女房を制するのは夫の男らしさである」
というのはもっともなことである。
吉備の国(今の岡山県)国賀夜郡庭妹の郷に、井沢庄太夫という人がいた。祖父は播磨の赤松に仕えていたが、かつての嘉吉元年の戦乱の際に、赤松の館を離れてここに至り、庄太夫までの三代をかけて春には耕作、秋には収穫をして、百姓仕事で豊かに暮らしていた。しかし庄太夫の息子・正太郎は、農業を嫌うあまりに酒に浸り、女遊びにふけって父の言いつけを守らない。正太郎の両親はこれを嘆き、密かにある「はかりごと」を立てた。
「ああ、家柄の優れた人の美しい娘を正太郎の嫁にすることが出来れば、息子の身も自然と修まるのだろうなあ」
その「はかりごと」とは、正太郎を結婚させるということだった。結婚すれば、正太郎の生活も改まるだろうと考えたのである。正太郎の両親が広く全国を捜し求めたところ、幸い一人仲人を見つけた。仲人は言った。
「吉備津の神主香央(かさだ)造酒の娘は、生まれつき秀麗で、父母の言うことに良く従い、また歌や琴にも長じています。従来、香央の家は吉備鴨別命の末裔で家筋も由緒正しいので、もしあなたの家と親戚になれば、果ては良いことがもたらされることでしょう。そうなるのがこの私の願いでもあります。あなたはどう思われますかな」
庄太夫はたいそう喜び、
「よくぞ言って下さいました。このことは我が家にとって千年の後まで続くかのような素晴らしいはかりごとです。しかしながら、香央はこの国の貴族であり、一方の私共は氏もないただの百姓です。当家と香央の家とは門戸も互角でないように釣り合いが取れませぬゆえ、おそらくは認めて下さらぬことでしょう」
すると仲人の老人は微笑みながら言った。
「そう遜ることはありませぬ。私が必ず祝いの言葉を挙げて見せます」
老人は香央の元へ言ってこの事を告げた。すると先方も喜んでその妻にも伝えると、妻も勇んで言った。
「私たちの娘も既に十七歳になりました。良い人がいれば結婚させようと考えていて、朝から晩まで落ち着いてもいられませんでした。はやく婚礼の日を決めて結納を取り交わしましょう」
このように先方の妻まで強くすすめるので、約束は既に決まったも同じだった。早速仲人は井沢の家に戻ってこのことを伝えた。やがて結納を取り交わし、吉日を選んで式を開いた。
また幸福を神に祈るとして、香央は巫女祝部を集めて湯を神に奉納した。そもそも吉備津の社に祈りをする人は、多くの供物を神に供えて湯を献上し、吉凶を占うのである。巫女が祝詞を読み、釜の中の湯の沸きあがる際、吉の時には釜が牛の吼声のような音を立てて鳴り、凶の時には音は鳴らない。これを吉備津の御釜祓いという。しかし香央の家のことは神がお祈りにならなかったのか、秋の叢で虫がこそこそ鳴くような音さえ聞こえない。ここで香央は疑わしく思い、この結果を妻に語った。しかし妻は疑わず、
「御釜の音がなかったのは、おそらく祝部達の身がきちんと清められていなかった為でしょう。既に結納を取り交わした上に、赤い縄で繋がれたとなれば、敵同士の家、外国人であったとしてもこの結婚を取りやめることは出来ないと聞いていますのに。とりわけ、井沢の家は弓の根本も末も知っている様な由緒正しき武士の末裔であり、掟を持つ家と聞いておりますので、今私達が結婚を取りやめにしても承知してはくれぬことでしょう。しかも私達の娘も婿の麗容なのをわずかに聞いていて、日数を数えて待ちわびているというのに、もし今の占いの結果を聞いたのならば、どんな思慮に欠けたことをするやも知れません。そうなった時に悔やんだとしても、もう元には戻りませぬ」
と言葉を尽くして忠告した。これは全く女の考え方である。香央の主人も最初から願っていた縁談だったので、占いを深く疑うことなく妻の言葉に従って婚儀を整え、両家の親戚が一同に会し、二人の仲が鶴の千歳、亀の万年にも勝るようにと願い、祝った。
香央の娘・磯良は嫁いだ後、朝は早起き、夜は遅くに眠り、常に舅親の元を去らず、夫の性格を良く考慮し、心を尽くして正太郎に仕えた。磯良の孝行と貞節に正太郎の両親は深く感心し、喜びも押さえ切れぬ程であったので、正太郎も磯良の志を愛しく思い、仲睦まじく暮らしていた。
しかしながら、正太郎の本能に根付いた浮気心はどうしようもなかった。いつの頃からか、正太郎は鞆の津の袖という遊女と深い関係になり、とうとう大金を積んで袖を買い取り、近くの里に別宅を用意して長い間帰らなかった。磯良はこれを恨み、ある時は正太郎の両親の怒りにかこつけてはこれを非難し、又ある時は正太郎の浮気心を恨み嘆いては見たものの、正太郎は上の空に聞き流し、その後は数ヶ月も帰ってこない。正太郎の父は嫁の一途な振る舞いを見ているのが耐えられず、正太郎を叱って家に閉じ込めてしまった。
磯良はこれを悲しみ、朝夕の奉仕もとりわけこまめに行い、また袖に贈り物をするなどして真心を尽くした。
そんな或る日、正太郎は父のいない間に磯良を密かに呼び寄せ、こう言った。
「お前の献身的な貞節の様を見ていると、俺は自分のした事を悔いるばかりだ。だから俺は、あの女を故郷に帰し、父の怒り顔を笑顔にさせて見せようと思う。奴は播磨の印南野の者であるが、親もなく身分も卑しいので、俺も哀れに思って情けをかけていた迄だ。今俺に捨てられてしまったらあの女、きっと末は船着場の遊女になるしかなくなるだろう。卑しい身分の輩にも、都の人ならば人情もあり、親切にしてくれるということを聞いたので、女を裕福な人の元にやって仕えさせようと思うのだ。だが俺はこんな状態だから、何をするにも金がなくて出来ぬ。路銀や衣服も誰が工面してくれるというのか。お前がこのことをよく取り計らい、あれに援助をしてはくれぬものか」
と丁寧に頼み込むので、磯良も正太郎の考えを嬉しく思い、
「このことに関しましてはどうかご安心を」
と密かに自分の衣服や嫁入り道具を金に換え、その上自分の母親に嘘を付いて金をもらい、正太郎に与えた。
しかしそんな磯良の心を裏切るかのように、正太郎は金を持って家を飛び出し、袖を連れて都のほうへ逃げてしまった。
ここまで欺かれたならば、流石の磯良も今やひたすら正太郎を恨み嘆くばかり。そして遂に、磯良は重い病に罹ってしまった。両家の親達は正太郎を憎み、この様を悲しんで医者の治療を頼りにしたが、食事のお粥も日に日に食べなくなり、どうにも手を尽くせない様子に見えた。
播磨の国(今の兵庫県南西部)印南郡荒井の里に、彦六という男がいた。袖とはいとこの間柄であったので、正太郎たちはまず彦六の元を訪れて、しばらく足を休めた。彦六は正太郎に向かって、
「都といえど、人によっては頼りにならないこともある。ここで暮らせばいい。飯を分け合い、共に日々の暮らしを考えていこう」
と頼もしいことを言う。正太郎も安心してここに住む事を決めた。彦六は、自分の家の隣のあばら家を正太郎に貸し与え、友人が出来たと言って喜んだ。
ところがそんな折、袖が風邪を引いたようだと言っていたのが何となく苦しみ出し、悪霊が取り憑いたように正気をなくしている様子であった。正太郎は、ここに来て幾日も経たない内にこの災いに襲われた悲しさのあまり、食も忘れて袖を抱き介抱したが、袖は泣くばかり。胸が詰まって苦しそうであるが、熱が下がれば普段と変わらない。
「これが生霊というものの仕業であろうか。もしかして故郷に捨てて来た磯良の仕業では…」
そう考えると、正太郎は一人胸の締め付けられる思いがする。彦六は正太郎を慰め、
「何でそんなことがあるというのか。疫病というものに苦しむ様子は沢山見てきたが、熱が少し冷めれば夢から覚めたように治るだろう」
と、軽く言うので頼もしい。しかし彦六の言葉とは裏腹に、袖は少しも治療の甲斐なく、七日目でとうとう鬼籍に入った。正太郎は上を見上げ、地面を叩いて泣き悲しみ、俺も一緒に死んでやる、と混乱している様子であったが、彦六がこれをあれこれ言って慰め、こうなってしまったならば仕方がないと言って、遂に荒野で袖の亡骸を火葬にした。骨を拾い、塚を作って卒塔婆を立て、僧を呼んで死者を弔った。
正太郎は伏してあの世にいる女のことを慕ったが、死者の魂を呼び戻す方法を知る術もなく、空を仰いで故郷を思うと却って地下のあの世よりも遠いように感じる。前に渡る橋がなく、後ろに道を失い、昼間はずっと横になり、日が暮れるたびに塚へ参ると、小さな雑草は早くも茂り、虫の声は何となく悲しく聞こえる。
今秋のわびしさは自分の身ただ一つだけが感じるのだ、と思い続けていると、別のところでも自分と同じことを言って嘆いている者がいる。正太郎が良く見ると、袖の塚の横に並んで新しく出来た塚がある。ここに参る女がこの上なく悲しそうな様子で花を手向け、塚に水をかけている様子を見て正太郎が、
「ああ、お気の毒に。若いあなたがこんな寂しい荒野を彷徨っていなさる」
と言うと、女は正太郎の方を向き、
「私が夕暮れ時にお参りに来ますたび、あなたはいつも先に参っていらっしゃる。きっと別れたくない御方とお別れになったのでしょうね。あなたのお心を察し申し上げまするに、私はとても悲しく思います」
と、女はしくしく泣く。
「そうなのです。私も十日ほど前に愛しい妻を失ったばかりです。私一人この世に残され、頼りなくおりまするに、ここに参ることだけが気分を晴らす唯一の慰めとなっております。あなたもおそらくはそんなところで御座いましょう」
正太郎がそう言うと、女は言った。
「私がこんなふうにお参り致しますのは、ここが頼りにしていた主人の墓であるからなのです。主人はいついつの日にここに埋葬されました。家に残っております私の女主人が、主人の死をお嘆きになるあまり、近頃は重い病に罹ってしまわれたので、私がこうして代わりに参り、お香やお花をお供えしているのです」
それを聞いて正太郎は言う。
「奥様がご病気になられるのももっともなこと。そもそも亡くなられたご主人はどんな方なのですか。また家は何処におありになるのでしょうか」
女は答える。
「私が頼りにしていたご主人様は、この国では由緒ある家柄の人で御座いました。ところが人のつまらぬ告げ口のために領地を失い、今はこの野の片隅で、寂しく過ごされていました。奥方様は隣の国まで評判の美人ですが、この方の為に家や領地を失われたのです」
正太郎は女の話に心が魅かれずにはいられなくて、
「それではその女主人が、心細くもお暮らしになっている場所はここから近いのですか。私がそこに参ってその方と同じ悲しみを語り、共に慰め合いましょう。其処へ連れて行って下さい」
という。女はそれに答えて、
「家はあなた様のいらした道を少し入った所にあります。訪れる方も少ないので、時々はお越し下さいませ。奥様もお待ちしているでしょうに」
と、正太郎の先に立って歩き始めた。
二町程歩いたところ、そこに細い道があった。其処から更に一町程歩くと、薄暗い林の奥に小さな茅葺小屋がある。みすぼらしい竹の扉に七日を経た月の光が明るく射し込み、狭い庭の荒れている様を否応なく照らし出している。細い灯火の光が窓の障子から漏れ出していて、それが何となく寂しい雰囲気を醸し出している。女は扉口まで来ると、
「ここでお待ち下さい」
と言って家の中へ入ってしまった。苔まみれの古井戸のところで立ち止まって家の中の様子を窺うと、唐紙障子の僅かに開いた隙間から、灯火の光が風に揺れ、黒棚の輝いて見えるのも興味深く感じられる。
そのうち女が家から出てきてこう言った。
「奥様にあなた様のご訪問のことをお話申し上げると、
『お入りください。物を隔てて語り合いましょう』
「と言いながら、端の方へ膝を突きながらお出でになりました。あなたもこちらへお入り下さい」
女は植え込みを通り、正太郎を奥のほうへ連れて行った。二間の客間を人が入れるほどに開けて、低い屏風が立ててある。古い蒲団の端が屏風から少し覗いているのを見て、正太郎は女主人がここにいるのだろうと予想した。
正太郎は屏風の方へ向かって、
「悲しいことにあなたがご病気を患っていらっしゃるということを聞きましたが、実は私も先日、愛する妻を失いました。そこで同じ悲しみを互いに語り、慰め合おうと思い、ここに参ったのです」
と言う。すると女主人は屏風を少し引き開けて、
「丁度良いところであなたの顔を拝見したものだ。今まで私が味わってきたこの辛い気持ち、お前にも思い知らせてやる」
と言う。驚いた正太郎が女の顔を見ると、何と故郷に捨ててきた先妻・磯良である。顔色はひどく青褪めていて、だらりとした目が不気味である。それが青く細い手で自分を指差すので、正太郎はその恐ろしさに、
「うわあっ」
と叫んで気絶してしまった。
しばらくして正太郎は意識を取戻した。目をうっすらと開くと、家と思っていたのは元々そこにあった荒野の三昧堂(供養堂)で、黒く煤けた仏像だけが立っておられる。正太郎は里の遠くから聞こえてくる犬の声を頼りに家に走り帰り、彦六にことの次第を語ったところ、
「大方狐に欺かれたのだろう。心が臆病がちに成っている時には、必ず人を惑わすものに襲われるものだ。あなたのように、虚弱な者がこうも悲しみに沈んでいる時には、神仏に祈って心を収めるのが良い。刀田の里に優れた陰陽師が居らっしゃる。お清めをして貰い、魔よけの札を戴くのだ」
と言って、彦六は正太郎を連れて陰陽師の元へ行き、今回のことを始めから詳しく話して陰陽師に占ってもらった。
陰陽師は占いを行い、考えてこう言った。
「災いはもう、すぐ其処まで迫って来ておる。これはそう簡単に解決できる問題ではない。怨霊は始めに女の命を奪ったが、その恨みはまだ尽きてはおらぬのじゃ。お前の命も今夜か翌朝かというところまでに迫っておる。この怨霊が死んだのは七日前なので、今日から始めて四十二日間、扉を閉ざして硬く物忌みをするがよい。もし物忌みを続ければ九死に一生を得ることが出来るが、ひと時でも物忌みが足りなかった時は、怨霊の難を免れることは出来ぬだろう」
陰陽師はそう硬く言いつけると筆を執り、正太郎の背中から手足に至るまで、全身に篆(てん)や籀(ちゅう)の書体のような文字を書いた。そして朱色で書いた護符を正太郎に沢山渡して言った。
「この札を扉ごとに貼って神仏に祈るのじゃ。失敗して身を滅ぼしてしまうことのないようにな」
それを聞いて、正太郎は怨霊の呪いを恐れながらも、これで助かるぞと言って喜んで家に帰り、護符を門に貼り、窓に貼って、重い物忌みに入った。
その夜、三更(夜の零時から二時までの時間)の頃に恐ろしい声が聞こえてきた。
「嗚呼、憎い…こんなところに尊い護符が貼ってあるなんて…」
そう一言つぶやいただけで、その晩はもう声は聞こえてこなかった。恐ろしさのあまり、正太郎は夜が長いのを嘆いた。
まもなく夜が明けると正気を取戻し、彦六がいる方の壁を敲いて夜中のことを話した。彦六は、ここで初めて陰陽師の言ったことが正しかったと奇妙に思い、自分もその夜は寝ないで三更の時間を待っていた。
松葉に吹きつける風が物を倒すような、尋常な様子ではない雨降りの晩であった。
二人は壁越しに言葉をかけ合い、そうこうしているうちにもう四更の時間になった。すると、下屋の障子窓に、さっと赤い光が射して、昨夜の声が聞こえてきた。
「嗚呼、憎らしい…ここにも護符が貼ってあるわ…」
その声はこの深い夜にはますます凄まじく、二人は髪の毛も産毛も逆立って、暫くは気を失って倒れていた。
こうして、二人は夜が明けると昨晩の様子を語り、夜が更けると夜明けが恋しくなるというようにして、この月日は千年を過ごすよりも長く感じられた。件の死霊も毎晩に渡って家の周りを動き回り、または屋根の棟で叫んで、怒りの声も夜が訪れる毎に凄まじくなった。こうして、四十二日目の夜を迎えることとなった。
今、ようやく最後の一晩が終わるというので特に慎んでいると、次第に五更の空も白々と明け渡ってきた。正太郎は長い夢が覚めたような気分で、そのうち彦六を呼ぶと、彦六は壁に寄って、
「どうした」
と答えた。正太郎は言った。
「重い物忌みも既に満了しました。そういえばこの四十二日間、一切あなたの顔を見ていない。懐かしいので、四十二日に渡るつらさや恐ろしさを心の限りに語り合い、晴らしたいと思います。眠りをお覚ましになって下さい。私も戸外に出ましょう」
彦六は用心深くない男なので、
「今となってはどんな心配事があろうか。さあ、こちらへいらして下さい」
と言って、戸を明けようとした。すると半分も開かぬうちに、隣の家の軒先から、
「ぎゃああああっ」
という耳も貫かんばかりの叫び声が聞こえてきたので、彦六は思わず尻餅をついてしまった。
「これは正太郎の身に何かあったな」
彦六は斧を持って道に出ると、正太郎が明けたと言っていた夜はまだ明けておらず、月は斜め上の空に架かってぼんやりと光り、風は冷ややかに吹いてくる。そして正太郎の家の戸は開け放たれていて、正太郎自身の姿が見えなかった。彦六は中に逃げ入ったのだろうかと思い、走って家の中に入ってみても、どこにも隠れられるような場所はない。道端で倒れて居るのかもしれないと言って探してみたが、辺りには誰もいない。どうしたのだろうかと奇妙に思い、または恐る恐る、灯火を持ってあちこちを探してみた。すると開いた戸脇の壁に生々しくも血が着いていて、それが垂れて地面に伝わっている。しかし死体も骨も何処にもない。
その時彦六は、軒先で月の光に照らされている何かを見つけた。灯火を近づけて照らしてみると、それは男の髪の毛であり、髻だけがかかっているばかりで後はなにもなかった。その無惨さ、恐ろしさは、筆に尽くしがたいものであった。夜が明けた後、彦六はここから近い野山を探してみたが、遂に正太郎の死骸さえも見つけることは出来なかった。
このことは井沢の家にも伝えられた。すると正太郎の両親は、涙ながらに香央の家にも知らせた。
一方巷では、陰陽師の占いがはっきりしていて正確だったこと、御釜祓いで凶と出たのが全く間違いでなかったことは、とても尊いことだと語り伝えられた。
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