拾遺之二十:塗妻

●本話は『諸国百物語』に見える話である。京極夏彦の『塗仏の宴』でも紹介されていたのでご存知の方も多いことと思う。
怪談には昔から今まで、女性の怨霊にまつわる話が少なからずあるが、本話も例外なくそれに該当する話である。この話を敢えて取り上げようと思うのは、この怨霊(?)が日本の幽霊には珍しく肉体を伴っていること、またその容姿がとりわけ特異さを際立たせている為である。


●豊後の国(今の大分県)の某氏の妻は十七歳であったが、評判の美人であり、また夫婦仲も類稀なる程に良かった。男は睦言で、常々妻にこんなことを言い聞かせていた。
「お前が死んでも、私はお前のほかに妻は持たない」
そんなある時、某氏の妻は風邪を引いたと思っているうちに、とうとう本当に亡くなってしまった。死ぬ際、妻は夫にこんなことを言い残した。
「私を不憫に思ってくださるのならば、土葬、火葬は無用です。私の腹を割き、はらわたを取り出し、中へ米を詰めて表面を十四遍漆で塗り固めてください。そして外へ持仏堂を作り、私を中へいれ、鉦鼓(しょうご)を持たせて朝夕と、私の前で念仏をお唱え下さい」
男は妻の遺言の通りにしてやった。そして二年ほどは約束に違わず妻を持たなかったが、友人の無理の勧めでとうとう妻をもつこととなった。
ところがこの妻、訳も言わずしきりに離婚をして下さいという。男がいろいろとなだめたものの、とうとう妻は実家へ帰ってしまった。
その後も何度か妻を持つことがあったが、皆同じように帰ってしまった。これはただごとではないと感じた男は、祈祷などを執り行い、再び妻を迎えた。すると祈祷の験か、今回は五、六十日ほど何事もなかった。

そんなある夜のこと、夫は外へ遊びに出、妻が腰元たちと雑談をしている際に、午後十時頃か、外から鉦鼓の音が聞こえてきた。皆が不審がっていると、やがて鉦鼓の音は奥の間へと入ってきた。これには驚き、戸に掛け金をかけて身を縮めていると、音の主は二間、三間の戸をさらりさらりと開け、今は一戸を残すばかり。そして女の声で、
「ここを開けて下さい」
という。しかし、皆恐れて音も立てようとしない。すると女は云った。
「仕方ない。今回はひとまず帰るとしよう。再び参って夜のお相手をすることに。私が来たことは夫には内緒にして下さい。もしもお話になれば、あなたの命はないことでしょう」
女は鉦鼓を打ちながら帰った。恐ろしいことだと思い、妻が戸の隙間から覗き見ると、それは十七、八になる女であった。顔から下は奇妙にも真黒であり、手には鉦鼓を持っていた。
その晩は恐ろしさで夫に言うことが出来なかったが、次の日、妻は言った。
「私にお暇を下さい」
不審に思った夫が妻を問いただすと、妻は昨晩起こったことを語りだした。夫は狐かなんかだろうと云ってそしらぬふりをし、妻を言いなだめた。

それから四、五日後のことである。
夫が外出して真夜中になった頃、外からあの鉦鼓の音が聞こえてきた。慌てて戸に掛け金をかけると、女の声でここを開けろという。皆恐れおののいていたが、暫くするうち不思議にも女房達は皆眠ってしまった。
しかし妻は眠らなかった。すると二重三重の戸をさらりさらりと開けて、身の丈ほどに伸びた髪を揺り下げた黒塗りの女が入ってきた。女は妻をじろじろと見て、
「嗚呼、ひどいことだ。以前私の参ったことを夫には話されるなと申しておいたのに、もうお忘れになったか。かえすがえすも恨めしいぞ」
と云うが早いか、妻へ飛び掛り、その首を捻じ切って帰っていった。
やがてそれを聞きつけた夫が帰り尋ねてみると、居合わせた下女達は先ほどの一部始終を語った。それを聞いて驚いた夫は、先妻の安置されている持仏堂を開けてみた。すると黒塗りの死体の前に、何と今の妻の首があった。
「嗚呼、お前はなんと卑しい心を持っておるのだ」
夫がそういって死体を持仏堂から引き下ろすと、黒塗りの女は目をかっと開き、夫の首に噛み付いて、遂に男を殺してしまった。



●鉦鼓が良い効果を出している。これだけでも十分に怖いが、物語には念入りにも黒塗りの死体そのものを登場させ、更には驚くべき結末をも付けている。
それにしても、先妻は何故生前にあんな奇妙な遺言を残したのだろうか。大きな謎である。


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