拾遺之十九:さかしまの霊

●『諸国百物語』にこんな話が見える。

●織田信長公の家来に、端井弥三郎という文武二道に長けた侍がいた。
後に備後殿に奉公して清洲城に居られることとなるのだが、犬山殿のご子息との男色の交わり浅からず、三里隔てた道を夜な夜な通っていた。
或る夜、夜勤が終わった弥三郎は犬山の元へと向かったが、折りしも夜の暗闇の中。雨はしきりに降り、凄まじい夜であった。
道に川渡しの船があった。ところが、渡し守を呼ぶも川下で眠っているので返事もしない。弥三郎が川端に立ったまま休み、川の上流下流を眺めていると、川上に灯火が見えた。次第に近づいてくるのをよくよく見れば、それはざんばら髪の女であった。先ほどの灯火は女が口から吹出している火焔であり、また奇妙なことに、女は逆さまの格好で頭を使って歩いていた。
弥三郎はこれを見て刀を抜き、
「何者か」
と問うた。すると女は苦しそうな声で答えた。
「私は川むかいの屋村の庄屋の女房です。ところが夫とその妾が共謀し、私を絞め殺した後、崇りを起さぬようにと、川上に私の死体を逆さまに埋めたのです。敵を討ちたく思うのですが、こんなさかしまの状態では川も渡れず、どうにかして豪胆な武士に行き合い、渡してもらおうと思いまして、近頃は常々往来の人々を気にしていたのですが、あなた様以上に勇ましいお心をお持ちの方は御座いませんでした。どうか私に御慈悲をかけるおつもりで、私を対岸へ渡して下さい」
弥三郎は霊の願を聞きいれ、渡し守を呼ぶと、
「あの女を舟に乗せ、向こうの岸へ渡せ」
と命じた。ところが渡し守は女を見るや否や、櫓と櫂を投げ捨てて逃げ出してしまった。仕方なく弥三郎自ら櫂を取り、女を舟に抱き乗せて向こうへ渡してやった。岸へつくと、女は屋村の方へと飛んでいった。
女の跡をつけて庄屋の家の門で立ち聞きをしていると、
「あっ」
という女の悲鳴が聞こえ、暫くして妾の首を引っさげた女が出てきた。女は弥三郎に向かい、
「あなた様のおかげでやすやすと憎い敵の首をとることが出来ました。有難う御座いました」
と言って跡形なく消え失せた。

弥三郎は犬山へ行き、夜が明けて帰る途中、屋村で在所の者に夕べは何事も無かったかと尋ねた。すると、この村の庄屋が近頃女房を迎えたが、昨晩どういうわけか、その女房の首を何者かが引き抜き持ち去ったということだった。
弥三郎は不思議に思い、備後殿へ事のあらましを語った。話を聞いた備後殿はかの川上を掘らせた。するとそこには霊が言ったように、逆さまに埋められた女の亡骸があった。前代未聞のことだということで、かの庄屋は処刑されたという。



●世にも不思議な逆立ち幽霊の話である。女の幽霊が第三者の力を借りて敵を討つ話は見かけるが、本話は幽霊の格好が奇妙さを極めている点で非常に珍しいものである。



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